イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

コモンズの謎を解く、資本主義の行く末の一つの答え

 

著者はあとがきでひとりごちる「マルクスで脱成長なんて正気か?」
革新という古臭さを乗り越えてマルクス主義に立ち戻るなんていう衝撃をあなたは受け止めることができるか?

ジェレミー・リフキンの限界費用ゼロ社会、デビッド・グレーバーの負債論、スティグリッツプログレッシブキャピタリズム、そして宇沢弘文で繰り返し語られる資本の強欲とそれに対峙する社会的共通資本に関する議論を一つにまとめて、マルクス資本論の真意に迫った斎藤幸平氏が示す理論と実践の書。リフキンの示したシェリング経済、グレーバーの貨幣経済スティグリッツの公的資本など資本主義の次のあるべき姿から、どうしても宇沢の社会的共通資本に繋がらなかったミッシングリンクはここに存在していた。

インターネットのスケールフリーな不均一性がプラットフォーム事業者の巨大な中心性に飲み込まれ、ピアツーピアの原則が損なわれ経済的な格差を大きくしている。ウィズコロナのビジネス、ライフスタイルに乗じて危機便乗型の市場収奪は目に余る。社会の産業が資本家を中心に労働を搾取していったことを、インターネットは指数級数的に加速している。パリや京都ではAirBnBのようなルームシェア経済は、不動産価格を住む場所の価格帯からホテルルームの資本回転率の世界にしてしまった。不動産市場では投機対象となってしまったアパートや高級マンションはかつての住人を追い出して、もはや住む人もいない。そしてそこに住んでいた人たちを貧困へと追いやっている。デヴィッド・グレイバーやスティグリッツは言う「資本主義の獰猛さによって労働組合や公共医療等が解体され」労働者の生活よりも資本の理論が優先される。

資本主義は境界を押し広げ辺境を求めて彷徨い、自然環境変化のポイントオブノーリターンなプラネタリバウンダリに近づいている。フレドリック・ジェイムソンの「資本主義の終わりを想像するよりも世界の終わりを想像するほうが容易い。」という言葉が重い。経済とCO2消費を比例させないデカップリングが求められているが、不都合を経済の外縁部に押しやるオランダの誤謬にも注意を払いたい。現在の自然科学は無償の自然力を搾取・浪費するものであって自然科学が資本主義の富の生産性指標だけに寄与するなら、それは「合理的」ではない。大地である地球をコモンとして持続可能に管理できる合理性を求めるべきだ。資本主義の理論からは、自然の私財化によって減る公富は希少性の増大と私財の増大につながりGDPの増加という連鎖を呼んでいる。つまり、GDPの増加は公富の減少を前提にしていうということを意味している。

資本主義的合理性を押し付けてくる米式のコンサルタントや啓発本みたいなものから「日本株式会社」にあった労働の潤沢さを、合理化という労働力の間引きの結果として希少性に追い込まれて、労働そのものが競争になってしまっている。また、電力会社、日本電々、郵政公社国鉄、高速道路などを非効率な公共事業として、「公正な競争」などというお題目で民営化して公的事業を利益収奪事業にしていったのは、政権に蔓延っている口入屋みたいな人材派遣会社の親分が構造改革だなんて言ったことだ。結果として社会の労働環境も同時に資本市場に解放され就職氷河期と労働搾取の派遣市場、最近では就活市場なんていう暗黒世界への道のりが出来上がってしまった。

そこでしめされるのが「ラディカルな潤沢さ」という理論だ。水や太陽は奪い合わない程度に潤沢であるがゆえに資本主義的な価値は少ない。資本主義は根源的に希少性を作り出して競争させる政策をとっている。ここでの論論はその希少性を否定し希少性を競い合う成長を否定する。本書ではロシアのミールやゲルマン共同体という共同体(コモンズ)が紹介されているが、1980年代から度々起こる「日本鎖国論」は辺境を求めず国内産業の均衡と価格優位でない交易を目指す優れた考えであることが思い起こされる。そもそも、昔の武家の仕事はコモンズであり、水を管理し自然を穏やかに使い安全を守る役割で、その時代の労働者は謀反や逃散で領主の治世に対抗していた。非効率だから競争しろという「公正な競争」なんていう知ったようなことをいう経済学者たちは、これまでの「合理的な個人による市場形成」「神の手」なんていう思いあがったモデルが資本主義なんて言う化け物を生み育てたということを認識すべきだ。生産性を上げていくときの分子となる生産は資本の言うところの生産ではなく自然消費を含めた系全体の持続可能性を加算した生産になるべきであって、生産性を上げていくのはあくまでも労働の成果であって、労働そのものがコモンであるならその成果も環境に帰属する。それは労働の喜びの集積であるという。

本書の最後に示されるのは、マルクス資本論に隠された5つの真の構想である。「使用価値経済への転換」「労働時間の短縮」「画一的な分業の廃止」「生産過程の民主化」「エッセンシャルワークの重視」詳しくは本書を最後まで読んでいただきたい。

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IT産業では効率化を求めて非常に厳しい分業が行われている。ネットワークはネットワーク専門家、データベースはDB基盤とDB設計、サーバー、OS、ミドルウェアというようにスキル別分業が行われている。専門知識を深化させること、同じことを繰り返すことで習熟することで確実に利益を事前に確定させることが求められている。しかし、エンジニアリングという労働の喜びは同じことを繰り返す作業効率の向上だけでは得られない。エンジニアリングという労働の創造性という喜びは新たな領域や新たなニーズによって生まれている。エンジニアの成長は、分業による作業だけでは得られず研究や探求という自由が必要なのだ(Googleの20%ルールやIBM AoT/TEC-Jは非常に優れた考えだ)。スキル別組織の限界は現在のIT産業の直面する深刻な課題だ。