イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

「強み」が「弱さ」になってしまう時に

敬愛する齊藤昌義さんのITソリューション塾ブログに「弱み」を「強み」と思い込んでいる残念な人たち、という記事が掲載されました。

https://blogs.itmedia.co.jp/itsolutionjuku/2021/10/post_974.html

齊藤さんは文中で、『社会学者のエズラ・ヴォーゲルが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を上梓したのは、1979年だ。日本はバブルの絶頂期にあり、多くの日本企業が世界の頂点でしのぎを削っていた。「失われた30年」と言われながらも、こうやって、いまの日本が世界でそれなりに評価されているのは、そんな時代の遺産に過ぎない。そして、そこで働く人たちのマインド・セットも、そんな時代を引きずっているとすれば、なんとも残念なことだ。もはや、世の中は、かつて日本が輝いた時代とは異なる競争原理で動いている。その流れに乗り移ることを考えなくてはいけない。』(引用ここまで)、と檄を飛ばしている。本当にそう思い、考察してみることにしました。

 

KEY QUESTION>
「強い」技術力を発揮して市場にイノベーティブな価値を届けたい。ソフトウェアファーストの時代だから自社の「強い」ソフトウェア開発力を市場で発揮していきたい。イノベーションを連発するソフトウェアカンパニーに憧れる日本企業の「強み」はなぜ「弱い」のだろうか。

 

CONCLUSION>
「強さ」の自覚は慢心と自信過剰につながる停滞の罠だ

日本ではソフトウェアといえばプログラミングだ、ソフトウェア工学だと勘違いしているので、ソフトウェアなんて書けばなんでも書けると思っているようです。現代のプログラミングの相当部分が最新のフレームワークと計算科学に基づいたライブラリーで構成されている分業体制であるということに気づいてはいないようです。アプリケーションプログラムであっても、最新のミドルウェアやデータベースが提供する並列性や分散処理を考慮に入れなければ、最新のハードウェアの性能を活かすことはできません。シングルスレッド時代のプログラミングテクニックをそのままアプリケーションに適用してもソフトウェアの最適化は行われません。プリプロセッサJITコンパラー、アプリケーションフレームワークが最新のハードウェアを使いこなすために最大の努力をしているのだけれど、オープンソースなんて素人集団は信じられないとか、自分たちのソフトウェア工学は世界一だのと言って採用せず、自分で書いてしまう。ひどい時にはシングルスレッドのC言語のプログラムとJavaJITコンパイラーの実行速度差とか言って(もう、こちらは聞く気もないけど)どうでもいいようなことでなにがなんでも拒否してしまう。確かにそれだけのコードボリュームを職人芸で書き切ることができるのは素晴らしい能力なのですが、その慢心がマーケットのベストオブブリードを学び本質を獲得する努力を阻んでしまっています。

あるプロジェクトでSOAに則って再利用性の高い柔軟なシステムを構築するという課題がありました。先輩のESBの世界的大家に同行して、受注したシステムインテグレーターのアーキテクトとSOA ESBの詳細打ち合わせに伺った時のことです。WEB Serviceの相互接続のためのSOAPライブラリーやWSDLのダイナミックオーケストレーションなどのミドルウェアを示しながらESBの接続プロトコルの説明を終えた後のことです。件のアーキテクトは「今回のシステムでWeb Serviceは用いない。IIOPで接続するのでESBはルーティングだけ行えば良い。あとはアプリケーションで処理をする」という。SOA以降の皆さんにわかりやすく言うと、gRPCの時代にソケットプログラミングでカスタムフレームをやり取りしたいというような前時代的な話をしているわけです、、、(BSCに逆戻りかよ)。呆れた先輩は日本人にはSOAは早すぎるんだね、といって帰国して行きました。私も現場を離れ、その後そのシステムは完成したようなので、確かにソフトウェアの生産能力は高いのだろうと思います。しかし、多分SOAが目指していた柔軟性も拡張性も得られることはなく70年代と同じくらいの安定度のシステムができあがったことだろうと思います。しかし、ハードウェアやネットワークは最新なのでトランザクションレートは高く、まるで軽自動車のシャーシにF1のエンジンを突っ込んだような運転しにくい怪物システムになっていることだろうと思います。

ロボットや自動車などのハードの世界でも同じようなことが起こっていると思います。「ソフトウェア」にも対応できているといいながら多くのプログラムがラダー型シーケンサーの世界で、ハードウェアリレーを焼き直して「小さく安く」作っているにすぎない(ソリッドステートなので安定してるのは認める)ものだったりします。最新のアーキテクチャによるソフトウェアモデルを実装するよりも手慣れたマイコンプログラミングで機能を実装できたらよいのだ、と割り切ってしまうのです。ここでも前出と同様に最新のハードウェアの並列性や多様なチップを組み合わせたSoC性能を生かしたプログラミングモデルを無視してシングルスレッドで比較した「リアルタイム性能」などが理由で進化を拒んでいる事例も多いように感じます。また、インターネットに接続され相互接続されるプログラミングの世界では、機能を超えた新しいアイデアやユーザーにとって魅力あるエクスペリエンスが求められています。さてここで、簡単に相互接続と聞き流してはいけないと思います。ネットワーク科学(ほどのことじゃないですが)では接続されるノード数のおよそ二乗の接続リンクが存在し、インターネット上の無数に存在しているノードとの相互接続にはこれまでのマイコンプログラミングとは比較にならないほどの接続リンクを取り扱わなければいけないのです。こうしたプログラミングはこれまでは経験したことのないインターネットバイデザインのアーキテクチャであって、モノを中心に設計してきたマイコンプログラミングからサイバーファーストなモダンプログラミングへの進化が見られるべきではないでしょうか。

昨今のプログラミングパラダイムの一番大きな変化は、多様性です。オープンソースプロジェクトでは(偉い人たちは素人集団といいますが)数百人からのコントリビューターが様々なアイデアや実装を試しています。これまでとの違いはその多様性で、大学でまだ学んでいるばかりの理論を持ち込む学生から、情報工学や数学のPh.Dの研究者や、彼らのコードをリファクタリングするコーディングのプロフェッショナル、テストマニアなどが一つのソフトウェアの進化を支えています。私が携わったプロジェクトでは、全体で千人以上で1つモジュールだけでも250名のエンジニアがコントリビュートしています。多くの研究段階のコードは品質的に本番には向かないことが多いのですが、オープンソースではそのコードの進化は早くて驚くべきスピードで最新理論の実装が進んでいきます。企業内で大規模プロジェクトを実行するのに集められる同質な250人のエンジニアにはないダイナミズムが生まれています。こうした事実に目を背け、これまでの「強さ」にすがっているのが今の日本のソフトウェアの実情ではないでしょうか。

 

RECOMMENDATION>
「強さ」を武器に。

最先端のソフトウェアはアーキテクチャ構造が重要です。スピードやコストというこれまでの価値観を、生産性や多様な処理の並列性などの新しい価値観に入れ替える勇気を持ちましょう。最先端のソフトウェアが求める本質的な価値を(従来価値と比較するのではなく)発見しましょう。アーキテクチャ構築能力を手に入れて、協働的なソフトウェア開発のための共通言語を身につけましょう。そうすることで、これまでの高品質で高性能なソフトウェアを確実に開発することのできる「強さ」をモダンなプログラミングパラダイムに活かすことができます。いままでのやり方のコストダウンや高品質という価値観を新しい若いプログラマーに教えないでください。「先輩に習うな」とは私が前職で学んだことです。先輩の方法は簡単そうに見えますが「強さ」の罠がいっぱいです。先輩の命令は無視して自分のやり方でやってよいのです(失敗もしますが、今は失敗は歓迎される傾向ですからw)。自ら研究して、先輩には(対等に)疑問をぶつけましょう。このような企業文化を醸成することが「強さ」を「弱み」にしない秘訣ではないでしょうか。

行き過ぎた資本主義、劣化した民主主義、暴走する社会主義というスケールの均衡点を「社会規範の倫理的行動」に求める純粋さ

行き過ぎた資本主義、劣化した民主主義、暴走する社会主義というスケールの均衡点を「社会規範の倫理的行動」に求める純粋さ

読書感想文

・欲望の資本主義5 格差拡大 社会の深部に亀裂が走る時
・無形資産が経済を支配する: 資本のない資本主義の正体

 

はじめに

コンピューターにはクロック周波数という宿命的なパラメーターがある。景気循環にも周期がありその周波数が早まっているか、あるいは従来の長い周期に高い周波数が重なり合っているらしい。経済周期のスペクトル解析に普通のフーリエ変換で通用するのだろうか。ロバート・シラーは「不道徳な見えざる手」で市場を支配しているのは「語り口:ナラティブ」という情報であるという。情報がインターネットで増幅拡散する伝わり方の変化とそれを活用する人工知能技術が運命を決める。丸山俊一さんは、アダム・スミスの経済理論で前提とした製造を中心とした分業による「神の手」は、デジタルによって変質していると指摘した。超高精細なデジタルデータがインターネットによって大量に集積され、それを強大なコンピューターパワーで分析する知力を得たら、神の手を超えるデジタルの最適化が引き起こされる。経済は統計モデルからネットワーク科学へと進化している。
法橋さんが書いている同書の解説ブログはこちら→とてもわかりやすいです。

2021 Vol. 9:『欲望の資本主義5 – 格差拡大 社会の深部に亀裂が走る時 -』 - TechnologyとIntelligenceに憧れて

 

ジョナサン・ハスケル「無形資産が経済を支配する」

現代の価値を生み出しているソフトウェアやサービスとは、企業業績のBSやPLに現れにくく無形資産=見えざる資産といわれる。無形資産は一度クリティカルマスを超えて成長すると限界費用(新しいサービス契約を獲得した時にかかる費用)がゼロになり指数級数的発展を期待させる。サービス時代の無形資産は従来のソフトウェア・アセットとは異なりソフトウェアそのものを販売することではなくソフトウェアによる便益だけを販売する。ソフトウェアそのものに企業の知財価値を持たせることはなく、サービスシステムにその価値を持たせている。ゆえに、多くの無形資産企業はソフトウェアを知財というよりは、協働(コラボレーション)する表現としてのコードとして捉えオープンソース戦略をとっている。こうした行動は多くのスピルオーバーをもたらして業界全体に影響を与え企業の存在を確固たるものにしている。ハスケルGoogle Chromeの独占の様子を描いているが、技術的な側面としてHTML5のプログラミングモデルやQUIC (RFC9000)というようなインターネットの安全性に関わる規格などを提供し、Googleの広告ビジネスを支える業界全体にとって必須の技術を提供している。

 

オートメーションの軽すぎる税負担(ダロン・アセモグル)

オートメーション(機械投資)への課税は投資額の5%、労働力に関して労使が支払う税額は25%である。機械への労働力の移行が進み、労働生産性は高くなり投下資本に対する税額は下がるのでROEを求める経営者はオートメーション投資はやめられない。オートメーションに課税したら技術が停滞して生産性が下り、今のように課税を低く抑えていたら格差が広がっていく。機械力を活かせる人材であるかどうかが格差の決定要因になってしまう。非人間的な工場作業がすべての人生に素晴らしいわけではないのだけれど、逃れられない社会格差のなかでセーフティネットをどうするか議論が必要だ。カール・ポランニーが言うように、市場の神の手のように自然と自律分散されて最適化されていると信じているものの多くは国家の規制や政策に依存している。結果「欲望は善である」と言い放った新自由主義も多くの規制や税制の隙間を掠め取るレントシーカーが社会負担にただ乗りする荒廃を招いた。社会規範とはなにか、企業の行動に問いたくなる。

 

社会主義と資本主義

繰り返しとりあげられる宇沢弘文の均衡の概念において、社会経済は社会主義的行動と資本主義的な行動の間の均衡点を探るべきで、政府の役割や政治への期待を織り込んでいる。「社会主義市場経済」というナラティブを語る中国が統制強化に回帰している理由は指導者の政治的野心だけなのだろうか。経済成長は中国を民主化しないことはトランプ以後の世界が学んだことだ。香港弾圧やウィグルジェノサイドのような内政は国際経済と無縁の問題ではない。一方の民主主義も劣化している。トランプ前大統領は民主主義国家として政党間で妥協して協力するアメリカの政治規範を破壊し、Brexitのような国民投票も議会民主主義の少数意見を封殺するものだ。また、誰もが目を背けているのは、基軸通貨国家の財政は破綻するのかという部分をマスクされたナラティブだ。本書を通じて感じるのは、行き過ぎた資本主義、劣化した民主主義、そして暴走する社会主義というスケールの均衡点を「社会規範の倫理的行動」に求める純粋さをどう消化したらよいのか、ということではないだろうか。

 

欧州から見た日本

エマニュエル・トッドクーリエジャポンの特集で「コロナの行動規制においてフランス人は規制を守らず家族や恋人と楽しく過ごしたいと考えている。ドイツや日本のように社会規範の厳しい国では行動規制を皆が守っている。フランスでは高齢者が多く亡くなっている一方で出生率は下がっていないが、日本やドイツでは高齢者が生き延びて出生率はみじめなほど低い。」と言った。日本の本質的な課題は人口問題である。さらに課題は階級差別ではなく性差別であり、出生率を高めるためには女性の地位を確保して子育てがペナルティにならない社会を作ることが必要だ。また、失われた20年の間リストラとコストダウンだけに明け暮れた日本人の過剰なコスト意識が家庭や子供を持つことを抑制している。

米国経済はオバマ以降トランプ時代を通じて所得の中央値が17%も向上している。平均値ではなく中央値なので格差拡大の影響というよりは貧困脱出という意味が強い。トランプは中国からの貧困の輸入を止めようとしていたが、トランプ以前からの傾向だ。アメリカが貧困から脱している合理的な理由は見つからない。経済社会のコントロールには社会的合意が必要で、一つの集団的信仰だという。トッドは欧州がイスラム嫌悪などの暴力性が社会的な結束の基礎になってしまうことを危惧している。日本は戦後宗教に関する憲法的なタブーの結果お金しか信じない無宗教人と、一方で暴力性に訴え地下鉄にサリンを撒くような集団が生まれてしまった。集団的信仰という存在が社会規範を再構築するきっかけになるだろうか。

(まだ続きます↓)

 

アンドリュー・W・ロー「適応的市場仮説」

痛みの恩恵(gift of pain)は痛みに適応した進化をさす。経済活動は、従来の合理的な市場人という単純化されたモデルではなく、人間の理性や感情、国家の規制や社会の規範に適応して動くのだという。コロナ後の経済回復を予想しつつ「期待値」が市場を動かすと語ります。Gamestop株の騒動では市場参加者は利益ではない規範を求めて行動しました。これは群衆の叡智なのか暴徒の狂気なのか判然としない。インターネットの投資アプリであるRobinhoodはインターネットのネットワークスケールによる増幅を見せました。そこにはインフォデミックのリスクはあります。同質な意見しかないエコーチャンバーは群衆の叡智などではなく明らかに暴徒の狂気になりうる。

適応的社会仮説を社会ダーウィニズムと捉えると、不適合を自責の失敗とする能力主義マイケル・サンデルのが語るような社会に植え付けられた格差、適者生存のなんでもありの市場の無秩序というリスクが指摘されている。そこには社会規範や倫理的行動が求められるとする、丸山さんの人間的な考察が光る。

 

バーチャルという虚無

個人の行動や精神の動きまでをデジタルデータで把握し最適化するデジタル空間のバーチャル経済に丸山俊一さんはデジタル・アパジー(虚無感)を感じるという。仮想化と訳されることの多い「バーチャル」は本来「対象物を実体化する」という意味があり、ものごとを還元主義的に再構成して実体化することを言う(だからパラメタライズされたデジタルのデータセットにバーチャルという呼称がつく)。再構築された実体に還元されない取り残された温度を感じられないから虚無感を感じる、これまでの経済理論よりもずっと緻密に実体を再現できるようになったはずなのに。帳簿程度のデータでも手書きなら実体であって、より緻密なデータセットが虚無に感じるのは、ロボットの不気味の谷と同じ技術の未熟さか。

経済は文化と社会規範の相互作用に規定される

www.nhk.jp

丸山俊一プロデューサーによるNHK BSスペシャル欲望の資本主義 特別編 「コロナ2度目の春 霧の中のK字回復」視聴感想文

「経済成長の勝ち組とポスト資本主義という矛盾した二つの欲望」

ハーバード大レベッカヘンダーソンはワクチンで回復する先進諸国と発展途上国、ステイホームするホワイトカラーと失業する労働者というようにK字に格差が拡大していると指摘する。このストーリーの背景には、二つの矛盾した憧れが同居してる。一つはシュンペータの定義するテクノロジーイノベーションによって経済の新陳代謝を高め、ゾンビ企業を退場させて社会全体が経済発展していかなくてはならないという社会の焦り。デジタル技術のスケールフリーな発展を求めるインターネットジャイアントへの憧憬だ。もう一つは、現代資本主義が限界まで育った後に老化して崩壊し、再構築されようとしていく中で、宇沢弘文の社会的共通資本というリベラルな経済理論に基づいて人の心を取り戻したいというノスタルジックな気持ちだ。

番組はヴェブレンを引き合いに、これまでの経済モデルは精緻な数学のモデルの合理的経済人(ホモエコノミクス)という心のない存在が活動するという現実にはありえないモデル(注:これは数学が悪いのではなく、経済学者が数学の使い方を誤っただけだ)だと示唆する。しかし、現在の頑なな経済人が心への関心を持つことがあるのか激しく疑問で、社会における共通財と均衡する経済というのはユートピアに見える。しかし、レベッカヘンダーソンパンデミックにおいて医療や物流などのエッセンシャルワーカーの必要性を際立たせ、このことは、将来の気候変動の前哨戦だと警鐘を鳴らす。そして、社会全体の価値観の変化を取り入れたアーキテクチュアル・イノベーションを進めるべきだという。急激に変化する環境で利己的な利益だけを追求するのではなく、本当に必要な仕事をする〜そんな競争のない安定した社会を提案する。

アーキテクチャについては、先日のブログにこう書いた。「抽象化とはある機能が果たしている動作やパラメーターを還元主義的に再構築したものである。

https://sociotechnical.hatenablog.com/entry/2020/12/11/141352


「投資家の身勝手な経済成長神話は異常発達した癌細胞だ」

冷酷な経済学者は政府支援によって生きながらえている企業の中には、もはや経済的に意味を持たないゾンビ企業が存在していて、社会経済のデッドウェイトロスになっていると指摘する。そうなるといつも引き合いに出される北欧モデルのフィンランドだが、経済市場でゾンビ企業を退場させる代わりに労働市場で失業者対策を充実させるフレキシキュリティ政策を施行し注目を浴びている。日本の小幡も同様に企業を潰して人を守れと耳触りの良いことを言う。しかし、一体誰が企業の死に体を判断するのか。日米半導体競争で米国の圧力に屈した半導体産業の中で(それまで利益を独占してきた半導体メーカーは本当に死んでしまったのだけれど)燃え残りのように死に体に見えた半導体製造装置産業はいつか世界の半導体製造のマザーマシンとなっていった。

それでも日本の半導体産業は衰退圧力が強すぎて半導体製造装置においても最先端の座をオランダに譲ってしまう。それさえ失ったら日本の産業優位なんて微塵も無くなってしまうのだけれど

中小企業を中心とした日本企業は大きく成長しなくともエッセンシャルな産業を長く維持してきたのだ。株式投資家によって無慈悲にリターンを求められ、利益水準を達成できないからといってゾンビ企業になるわけではない。こういった企業を潰すのが目的であるなら、社会の新陳代謝なんていう戯言は悪性腫瘍が暴走した癌細胞だ。

「パーセプションによるミューテーション」

名著「アダプティブ・マーケッツ(適応的市場)」を書いたアンドリュー・W・ルー MIT教授は、経済も痛みを感じることで自然に変異して進化を遂げ、痛みは何が必要か教えてくれると説く。コロナで取り残され封鎖が長引く途上国は、結局世界を小さくしてこれまで辺境を求めて拡大してきたグローバル資本主義の終焉を早めるのか。日本の経済学者小幡は、経済状況はバブル終焉であって長期的にも経済の発展そのものがバブルで、バブルは弾けるものだと皮肉めいたことをいう。ゲームストップ株で個人投資家から散々に叩かれたロビンフッドやアルケゴス破綻など、ヘッジファンドは時代の変化を鋭敏に捉える炭鉱のカナリアガラパゴス諸島の生き物を見るようだとルー博士は言う。ロビンフッド事件は株価が経済だけではなく主張によって動かされるという時代の流れはESG投資に向かう機関投資家の先駆けとなるのだろうか。格差を生む利益追求だけではない複眼的な社会均衡的な指標をいかに知覚することができるか。その知覚の刺激は経済の細胞に混入する異物となって、変異的進化を遂げることになる。

中国の経済全体を緻密に正確に把握し調整しようとするデジタル貨幣技術や人々の欲望を抑え込む制御も変異一つではないか。MITの経済学者ダロン・アセモグルは過去の先進国における対中国の近代化論的な姿勢は、結局民主化を誘発できず誤りだったと指摘する。しかし、米国民主主義はトランプによる議会占拠事件によって棄損したままでは民主化そのものが胡散臭い。いづれにせよ日米貿易摩擦と同じように中国も近い将来行き詰まって、次の変異の痛みを感じることになるのだろう。

 

インタンジブル・キャピタルの暴走 欲望の資本主義2021 「格差拡大 社会の深部に亀裂が走る時」

www.nhk.jp

ノーベル経済学者のスティグリッツが2001年に新装版「大転換」の序文を書いた。著者カール・ポランニーの「市場が社会から切り離されると社会は経済に支配され、社会は悪魔の石臼に挽きつぶされてしまう」という言葉から始まる2021年のNHK BS1スペシャル「欲望の資本主義」は、歴史の流れから飛び出した未必の破滅を描き出した。「労働による富」が自由経済によってグローバル化して「資本による富」へと変化した歴史が、「資本無き資本主義」という見えざる資産=インタンジブル・キャピタル(無形資産)の時代に進み、その利益独占の構造と格差社会を作り出したのだ。ポランニーは「大転換(Great Transformation)」のなかで、人間の経済は本来は社会関係の中に沈み込んでいるものであるべきで、帰属する社会から独り歩きした市場経済が世界規模に拡大して社会が破局的混乱にさらされるその様子をウィリアム・ブレイクの言葉を借りて「悪魔のひき臼」と呼んだ。

 

2004年オフィスにおける知的生産を研究するIBMの研究会で取り上げたのが「インタンジブル・アセット」だった。競争優位をもたらす見えざる資産構築法( https://amzn.to/3beNWaB )、IT投資と生産性の相関( https://amzn.to/3pQgpaI )などから考察したのは、企業価値は損益だけでは決まらないというソフトウェア時代が求める将来価値を追求する動きだった。しかし、歴史は生産性向上の欲望を悪魔の石臼に変えてしまった。「無形資産が経済を支配する( https://amzn.to/3rO4jAJ )」の著者ジョナサン・ハスケルは、知識資産、評判資産、関係資産、ブランドなどのインタンジブル・キャピタルはこれまでの工場や生産設備のような資産価値として換金できる資産ではなく「将来の稼ぐ力」をもたらすソフトウェア時代の価値だと定義した。デジタル資産は再生産コストがゼロに等しいという限界費用ゼロ社会なので結果としてソフトウェアの将来価値は毀損しないからだ。また、モノを大量に生産していた時代では発明したものを生産するのは設備や労働力を要するが、発明したインタンジブル・アセットは誰の手も借りずに金を生み利益が一人の手に渡る究極のROE経営だ。

ROE = 売上高純利益率 × 総資産回転率 × 財務レバレッジ

※売上高純利益率=当期純利益÷売上高

※総資産回転率=売上高÷総資産

※財務レバレッジ=総資産÷自己資本

ROE経営とはつまり資本を減らし利益率を高め、会社を小さくして大きな利益を得るということだ。ファブレスクラウドオープンソースディストリビューションのようにして、手間や人手のかかる実際の価値創造を外出しにして知的資産の純利益だけの会社にしたいという。利益に関わる仕事に人はいらない、理想的には人はゼロで利益だけ上げてこいということだ。株式市場の経済アナリストが強く要請するROEは人の仕事を奪い利益の再配分を妨げてきた。人間の仕事を奪うのは人工知能ではなく経済アナリストなのではないか?こいつらに苺を作らせたら地球全てがいちご畑になって、誰も生き残らない

 

番組では悪魔の石臼となったインタンジブル・キャピタルに至る経済の歴史をその転換点となったオイルショック、1974年を中心に丁寧に描き出す。設備投資を中心とした米国流の大量生産方式の産業化が進む産業革命の出鼻をくじいたのがオイルショックとそれに続くスタグフレーションだった(米国の全要素生産性の停滞と各国の長期金利の下落が始まるのが74年)。そこに登場するレーガノミクスはラッファーカーブという税に関わる理論を裏付けにした自由経済と金融経済のグローバリゼーションだった。お金をはモノを交換するためのものではなくお金を増やすために使われる、とハスケルは指摘した。この番組シリーズを通じて語られてきたのは、この自由経済の行きつく先は低賃金の輸入とあらゆるものがグローバルに相互依存する社会停滞のリスクだった。エマニュエル・トッドは次のように述べる。グローバル経済が昏睡してしまうリスクがパンデミックの分断によって露呈し、そういう意味でトランプ政権の保護主義自国主義の経済運営は正しいと。

 

橋本はフリーターと就職氷河期から始まる非正規雇用者という新しい階級の誕生を指摘しつつ「一部の人を貧困に陥れて他方で経済成長するというのは幻想だ」と語る。人足市場の政商がぬけぬけと聖域なき構造改革だなどと派遣労働の規制緩和を進めた結果がこれだ。実は株式市場におけるROEなんていいう圧力を強めて、日本をアジアの低賃金と競争させようとしているのはアメリカの資本主義の強欲なのではないか、と思う。英エコノミスト誌の元編集長のビル・エモット氏は2020年末の日経ビジネスのブログに「失敗の背景はよく知られる。日本では従業員の40%近くが非正規、短期、パートタイムの契約で働く。企業は正社員と非正規社員の間で仕事を柔軟に調整し、賃金の引き上げを避けた。昇給もとてもささやかな範囲に収まってきた。その間、日本の最低賃金経済協力開発機構OECD)加盟国の中で最低水準になった。」と書いた。

 

アルメニア人を両親に持つ経済学者のダロン・アシモグルは一つの処方箋を見せる。インタンジブル・キャピタルの独占の罠は利益が労働者の手に渡らない=再配分できないということであり、自由経済が一つの限界に達したことを意味している。マイクロソフトのグレン・ワイルも富の集中は社会の成長を妨げると主張し、Googleに対する反トラスト法提訴は巨大企業に振る舞いを正させると言った。一方で、ダロンは経済成長が多くの国で人々を貧困から救ってきたのだと経済成長のスピードを低下させてはいけないと主張する。経済成長を続けながら社会や環境をよりよくするためにはどうするか?それは、かつて法律や制度だったものだが、Civil SocietyのSocial Norm(社会規範)へと変化しなくてはならないという。社会規範とは、例えば政府が脱炭素の規制をするよりも、人々が自ら電気自動車やFCVを好んで選択したり二酸化炭素排出量の少ない起業で働きたいと思うことだ。しかし、そのSocial Normはかつて日本にあった村社会の重苦しい不文律や慣習でもある。トッドは経済成長のメトリックとなる記号に変化を求めた。共同体への帰属化する新しい価値の記号とはなんだろうか。グローバル標準などという押し付けられた株式市場の成績のような記号ではなく、自ら選んだ各地方固有の資本主義のあり方を探る時代になるべきだ。

 

番組は最後にケインズの「平和の経済的帰結」を取り上げる。ケインズはこのなかで、ドイツに対する第一次世界短戦後の多額すぎる経済制裁は次の戦争を呼ぶと予言した。現実に、このような経済理論はドイツ社会を押しつぶし世界を破滅させるファシズムに進んでしまったのだ。ケインズの提言は現代になお重い。「資源と勇気と理想主義を協働させて文明の破壊を防がなくてはならない」のだ。

抽象化がもたらすもの~ソフトウェアアーキテクチャとは

抽象化がもたらすもの
抽象化とはある機能が果たしている動作やパラメーターを還元主義的に再構築したものである。デジタルカメラはカメラの持っている機能を再構築することではなく、フィルムをCCDに置き換えることで成立している。ゆえに、デジタルカメラはカメラの持っていたフォームファクターや伝統的なカメラの価値観に縛られ、カメラ市場という限定された市場での次元的競争が強いられる。結果としてコモディティ化が進み製品としての市場価値を失っていくことになる。一方でソフトウェアの世界では「写真を撮影する」という働きを還元主義的に再構築することでCCDとカメラソフト、スマートフォンへのインストールという異なるマーケットサイズへのアプローチが可能になる。スマートフォンは運命的にインターネットに接続された存在であるために、インターネット上の開発コミュニティとソーシャルネットワーククロスネットワークエフェクトを直截的に享受して指数的成長を遂げ、開発者が意図した写真という範囲を否応もなく逸脱しインターネットライフスタイルという領域を開拓することになる。

→抽象化は単にこれまで実装してきた機能をAPIでアクセスできれば良いということではなく、機能の働きを還元主義的にソフトウェアに再構築することを目的としている。

f:id:mash-kyam:20201211140932p:plain

デジカメとスマートフォンの比較

ソフトウェアアーキテクチャとは
かつてIBMがComputing Tabulating Recording Companyと呼ばれていたころ(ワトソン、フェアチャイルド、ホレリスの時代)、計算機は機械や電気によって動作し、肉量り機のように重量と単価を掛け合わせて合計のレシートを印刷したり、パンチカードに穿孔された国勢調査票を集計して人口統計を印刷したりする専用設計だった。汎用コンピュータアーキテクチャとして生まれたIBM System/360は、これらのハードウェアの機能を入出力、処理制御、記憶というように還元主義的に再構築しそれらをInstruction Setというソフトウェアアーキテクチャに展開した。現代ではISAはプロセッサーアーキテクチャであるが、ISAが汎用プログラミングモデルを提供し、コンピューターの普及すなわちソフトウェアファーストの時代の第一歩を歩み出した。

→Hardware Abstractionとはハードウェアの課題をソフトウェアに還元し、汎用プログラミングモデルによるソフトウェアの成長を支えるものである。

f:id:mash-kyam:20201211141156p:plain

IBM System/360

 

欲望の資本主義4 スティグリッツ×ファーガソン 不確実性への挑戦: コロナ危機の本質

ファーガソン歴史学者としてパンデミック歴史的評価を「これまで国家が準備し十分だと思われていた対策が実は全く効果がなく最悪の対応になった。また、その理由は述べられていない。」と口にする。都市のシャットダウンはさらに経済を停滞させ、自らシャットダウンした経済を再び刺激することはできないと断ずる。パンデミックの経済対策に対して「小切手を配ってもお金を強制的に使わせることはできない」その結果として貯蓄性向が高まり長期の経済停滞を予想する。日本が長らく苦しんだ成長無きデフレだ。デフレの病魔は国家の深層に入り込み人々の心理に暗くしつこい影を落とす。それは様々な活動において創造性や未来への挑戦よりもコストパフォーマンスだけに価値を置く、現在の日本の姿だ。また、グローバルの大企業はコストカットのためにグローバル分業を推し進めてきたが、結果として国内労働者は発展途上国の低賃金労働者との競争を強いられ、国内に超低賃金が輸入されてきた。そのようなグローバル資本主義の常態に起こったパンデミックで、社会に供給される緊急の失業給付金は低賃金の労働に比較した時に、労働意欲を失わせ失業率をより高くなる方向に社会を誘導してしまう。ファーガソンの描く経済的な未来は、暗くしつこいデフレの悪夢と低賃金に喘ぐ大失業時代の到来だ。さらに国際政治について、中国の経済発展の限界の予兆、そして最終的には米中の緊張が中国による台湾攻撃に端を発した戦争に発展すると未来を予想する。パンデミックを目の当たりにしたショックなのかとてもペシミスティックなファーガソンだが、一方でGAFAの作るサイバー空間での経済活動に対して比較的楽観的に構え、Zoomなどの非接触の空間を受け入れているように見えるのが対照的だ。
スティグリッツの現在の経済への見方も悲観的だ。2017年以来米国は低金利財政出動で経済を刺激し続けてきたが、それでもたったの2%しか経済成長を果たしていない(日本は2%目標すら達成できていない)。そこにやってきたパンデミックは破滅的な出来事だ。インタビュー時点では株式市場が堅調な米国だが、スティグリッツは二つの視点でその歪みを指摘している。一つは、失速した経済に対して当局は低金利の金融緩和政策で臨んでいるために、債券市場にから株式市場にお金が流れ市場の価値に比較して株価が膨れ上がっているだけだという指摘だ。つまり土地や球根などの投機対象すら存在していない虚空のバブルだ。もう一つは給付金だ。経済刺激策として投下されている給付金だが市民はそれを消費に回すことはなくかつてないほどの貯蓄性向を示している。しかし銀行に預けても利息もないために、株式投資にに流れているというのだ。これも経済の実態を表したものではなく、いつかは破綻すると予測する。
このようにお金の流れが澱み滞ってしまう病魔への処方箋はあるのだろうか。スティグリッツはヒントは宇沢弘文先生の「社会的共通資本」にあると論じる。資本市場の大企業は環境や社会インフラ、教育、医療などの社会的共通資本のフリーライダーで応分の負担をしていないように思われる。グローバル企業に国際的な枠組みで炭素税を段階的に導入するなどの仕組みを考えていく必要があると指摘している。また、金融緩和によって銀行にお金を貸し付けるよりも政府が公共事業を行いインフラ投資をしたほうが社会資本への還元が期待できると言っている。資本主義の利潤の役割は権力を分かち合うための分業だった。それなのに分業は大企業の強欲な利益追求のために使われて、国際的な搾取と貧困の輸入という事態を招いている。こうした低賃金は能力の差ということでは説明できないほどの格差を生じさせ、不平等をもたらしている。スティグリッツは、かつてフランクリン・ルーズベルトが法定最低賃金を定めたことで南部にいた奴隷労働者を解放したり、北欧福祉国家の高賃金労働者がクリエイティブなイノベーションを引き起こしてきたりという事例を引きながら、社会の発展のためには適切な賃金レンジが存在しているのだと示唆しているのだ。
宇沢先生は「自動車の社会的費用」のなかで自動車は安全や環境に対してより多くの負担をするべきだと言いました。自動車の便益と費用のバランスの中に安全や環境への配慮が必要なのだ。まあ、日本では重量税や自動車税など通常商品に比較して負担は大きいものだけれどこれからの自動運転車の導入に際して安全な社会インフラとしてどのような負担が望ましいのか、考えさせられる。
スティグリッツは相変わらずトランプ政権に対し厳しい態度を取っているが米巨大IT企業に対しても同じように厳しい。GAFA、主としてFacebookは自らの利益のためにフェイクニュースを放置してきたと指弾する(実はTwitterもだが)。報道表現の自由は権利であるけれど、満員の劇場で面白半分に「火事だ」と叫ぶ権利は誰にもない。また一時期批判の的にさらされたLibra仮想通貨に対しても否定的な意見を述べる。しかし、スティグリッツの仮想通貨への理解は浅く、暗号は秘密通信なだけではなく信頼の証明に用いられていることがわかっていないようだ。自らもそう言っているようにブロックチェーンや暗号通貨に対する理解不足のスキを中国が突いている。

シリーズを監修してきた丸山はあとがきで「経済もパンデミックも数字やグラフによって表されている」と述べている。われわれの生きるすべである経済や生命への脅威であるパンデミックも株価、GDP、感染者数というような数字になって処理されている。本当は豊かさや健やかさというのはもっと人間的な実感を伴ったものではないのか、という還元主義的な社会通念に対する厳しい批判だ。パンデミックであらわになった東京一極集中のリスクは、実はパンデミック以前から地方経済に巣食っていた吸血鬼(ストロー現象ともいう)だったのだ。資本主義の闇は元からそこにあったのだ。

インターネットが邪悪で強欲な意思に支配された【ケンブリッジアナリティカ事件】

 インターネットが邪悪で強欲な意思に支配される

本書はケンブリッジアナリティカ事件の中心にいた研究者であり技術者の告発であり、その裏側の邪悪な意思のストーリーです。パーソナルプロファイリングの5因子やフィルターバブル、コミュニティクラスター、ユーザーリテンションアルゴリズムフェイクニュースなどこれまでに暴かれた技術的な要素がどのように邪悪な意思によって操られてきたのか、本人の口から語られます。アシモフの「ファウンデーション」で描かれたような社会と精神世界のデジタルツイン空間を作ろうという技術的な興味は、IBMでもピープルプロキシーやパーソナルプラファイルのセンチメントリアクション、SNA(Social Netowrk Analytics)のエージェントベースシミュレーションなど、基礎的な技術が研究開発されてきました。スティーブ・バノンはその強力なネットワークを用いて社会を支配し過激思想によって社会を変化させ、ケンブリッジアナリティカはそこから巨万と富を得たのです。フェースブックは自らの広告収入メトリクスであるユーザーリテンションを大幅に上げ、偏った富を分け合いました。ブレグジットはマイクロターゲッティングの矛盾したメッセージによる実験として、そしてトランプ選挙はロシアの(政治的というよりは政商的な)介入によって成し遂げられました。どちらの結果も不正な操作によるドーピング違反なのだけれど、スポーツのような公正さのない政治の世界ではその結果が覆ることはなく社会は分断と不安に陥れられたまま、パーマネントな変化です。また、インターネットジャイアントと言われている巨大プラットフォームは資本市場に君臨し、富の偏在とそれによる自由主義・資本主義経済の破壊を進めています。

誰もが騙されているのに、正気に戻る者はいない。次に人類が見るのはディストピアに違いない。

 

クリストファー・ワイリーは技術者らしく、本書の終わりに以下の4つの提言を述べています。

  1. インターネット版建築基準法
    インターネット上に構築されるシステムが住民の安全を守る安全なアーキテクチャであることを監督する安全基準を設ける。ユーザーの同意があれば何をしてもよいというような不適切な同意メカニズムに「効果の相応性」という枠組みを導入する。
  2. ソフトウェアエンジニアの倫理規範
    医師や弁護士は常に患者や依頼者の利益を第一に考えるのと同じように、ソフトウェアエンジニアはソフトウェアの開発元ではなく取り扱うコンシューマー一人一人の権利に忠実であるべきだ。医師免許、司法試験、一級建築士免許とおなじように規範から外れたものを除名できる制度と、規範を守る範囲で会社からの報復を恐れることのない保護が必要だ。
  3. インターネット公益事業
    インターネット上のプレゼンスがあまりに大きくなった時、その事業は公益事業としての規制を受けなければいけない。しかし、スケールを理由に電力を罰することはないのだから同様にスケールを理由に巨大プラットフォームを分割・解体してはならない。その代わり、デジタル共通資本(コモンズ)、デジタル消費者の権利を守る中心的な役割を果たすべきだ。
  4. デジタルコモンズの受託者責任(スチュワードシップ)
    「デジタル監督庁」の創設によりプラットフォーム事業者を監督・管理する。個人データの価値を正当に評価して独占禁止法を実効的にする。

特に建築基準法と倫理規範の免許制度には純粋な技術者として、アーキテクチャガバナンスへの期待が隠されています。しかし、コンピュータアーキテクチャやソフトウェアアーキテクチャ、サービスシステムアーキテクチャなど抽象化された構造と判断など理解できる技術者は少ないのが現実です(自らアーキテクトと名乗っているものでも比率は変わらない)。そもそもインターネット上のas a Serviceのサービスとは何か、サービスプラットフォームとは何かすら理解できていないのですから。そんな中で正義の認定技術者としてのアーキテクトの出現は非常に難しいのではなかろうかと思います。また技術者としてのまっとうなアーキテクト判断が、システムライフ全体で金儲けと対立した時に尊重されたことなど今までかつてなかったと断言できます(私が前職を辞した理由もこれだ)。工学部建築工学科とおなじようにサービス学部アーキテクチャ学科が社会一般に認められ全国立大学に設置されるくらいにならないと建築基準法の制定はできないと思われます。

ケンブリッジアナリティカ事件でフェースブックは利用されたプラットフォームのような顔をしているが被害者なんかではありません。シリコンバレーの強欲はロンドンの小悪党にいいように使われたのだけれど、私はインターネットが邪悪なわけではないと信じていたいと思います。インターネットが不均一なスケールフリー性を維持しているのは、ネットワークの高い持続可能性を分散システムとして設計に組み込まれているからです。しかし、インターネットを文字通りオーバーレイしているプラットフォーム事業者は不均一性を掻乱し自らに都合の良い中心性を設計してバラバシの優先的選択(ネットワーク効果)による独占と富の集中を実現してしまいました。インターネットを不均一なスケール不変性に立ち戻らせるためには、商用利用でゆがめられた設計思想の支柱:バックボーンを叩きなおす、文字通り構造部材を叩いて直す現代の棟梁が必要なのだと思います。