イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

働く悩みは「経済学」で答えが見つかる〜毎日しんどいのは資本主義のせいですか?

本書の「経済学」は、働くことのしんどさをあらわに突きつけてきます。働く能力も知恵も社会における繋がりも社会的価値も見栄と虚構であり、資本主義の成功者はろくでなしの無能な老人で、デジタル技術は社会に害をもたらしていると。テクノロジー社会を作る一員であった私にはこのような客観的な現代批判を受け止めることはできず、かなり「しんどい」ものだった。

 

大量生産時代に作られた分業の罠は、機能的な分業の専門性の追求がサプライチェーンのコスト効率に組み込まれ、労働の対価の視点より市場の価格競争(価格調整)によって価格が引き下げられてしまうことです。また、こうした企業では分業の専門性というタコツボ的な組織内の知識の活用や伝承が求められるので、従業員はその企業の中でしか通用しない知識しか持ち得なくなってしまいます。企業は転職者を一から教育しなければならないし、転職者は経験が蓄積されないので転職ごとに収入が減少してしまいます。これでは就職が人生に一回かぎりの博打になってしまうし、自らの位置を見いだせなければ働くことはかなりしんどかろうと思います。

自らの知恵や能力を事業に活かし、対価に見合った労働とその成果の社会的な価値を見出して働いてきたと思っているのですが「社会のために事業を行っているという人が、実際に社会の役に立っているという話は、未だかつて聞いたことがありません」と切り捨てられてしまいました。また、リンゴが美味しいという価値よりも市場での価格だけが意味を持つような社会になっているのはリンゴを育てるのがまるで金のためだけの努力だという視点でしかなくて、リンゴ農園で働くことは地域の保全や景観の一部という郷土に対する価値があって働く意味の一部をもたらしているものでもあります。そういう意味では、働くことがしんどいのは他人の働く意味への無理解だということも感じます。

共感は能力であり他人と共感することで倫理や道徳が生まれます。しかし、道徳と経済は一致することなく「成功も昇進も無知で高慢で自惚れた上位の者のきまぐれで愚かな行為に委ねられてしまう」と言われてしまいました(現実の社会ではそんなことばかりではないですけどね)。企業のSDGsへの取り組みもエシカル消費に心がける消費者も実は周囲からの評判という見栄を張っているだけで本当の倫理ではないと指摘されます。だれもが都会を離れ自然の中で健康に鍛え上げられていくような環境を得られるわけではないという世の中で、なけなしの時間をやりくりして身体を鍛え自分の体との対話をする健やかさという視点を持たないで、単に「自然じゃないから」という二項対立でランニングマシーンを否定してしまうのは、どうもしっくりこないものです。

「経済学」からのデジタル技術への批判は痛烈です。デジタル技術の活用による恩恵が一部の人に偏っているし、ビッグデータ解析のように市場の動静がつぶさに見えるようになることで協力よりも競争のほうがより強い動機につながっていて、そして究極的には「インターネットに関わることでかなりの葛藤が拡大している」と言わせています。たしかにSNS疲れやトラッキング広告なんていうのはやり過ぎている面はあると思いますが、インターネットが社会にもたらしてきた知識の繋がりや価値流通の媒介などの歴史的な価値を損ねるものではないと思います。

最後に、資本主義の拡大すべき市場は狩り尽くされていて、のこされたグリーンフィールドは非常に少ないと指摘します。グリーンフィールドは他の競争者が居ない、つまり強欲に独占できる市場で、イノベーションを次々と生み出していく必要にかられています。そんな次世代技術にWEB3とか言って政府や行政までもが血道をあげているのは滑稽なことです。WEB3やDAOのギャンブル的なバブルの価値変動なんかも「経済学」でヤバいものだと解明しておいてほしいものです。