イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

マイクロサービスのコンテナクラスター

先日の白熱塾ではインフラ系のOSSクラスタリングやデリバリパイプラインの系譜について話してきた。「OSSの話じゃない」と言われたので、このブログではまったくOSSのソフトウェアに触れず機能だけを解説することにしてみた。ご参考になれば。

 

Delivery Pipeline

アプリケーションが様々なライブラリーを必要として複雑化している環境で、開発者が編み出した工夫がコンテナだ。開発環境のガバナンスの強い環境では開発管理者が準備したライブラリーに縛られてしまったり、逆にガバナンスの弱い環境では他の開発者に勝手にライブラリーを変更されてしまったりするので、共有する開発マシンへの不満は大きい。サーバーを共有している他の開発者がスケジュールを無視してビルドを始めると全く動かなくなってしまうこともある。そこで開発者は開発マシンの中に自分独自のファイルシステムとリソース領域をを所有できるシステムを開発した。そのOSとライブラリーのスタックに閉じこもってプログラミングをすることで、外からの干渉がない開発テストが可能になった。しかし、このビルドをリリースするのは難しい。本番環境のOS、ライブラリーの依存関係が固定化していたらDEV/UTの環境の作業は無効だからだ。そこで出てくるのがImmutable Infrastructureだ。開発者のUT環境をそのままコンテナイメージ化して、コンテナをデプロイしたらUT環境と全く同じ動作できる冪等性を維持できるように、コンテナ実行環境を整備しておくことで開発環境をそのままリリースすることができる。

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コンテナ・クラスターとダイナミックオーケストレーション

コンテナイメージはInfrastructre as Codeであって、Immutable Infrastructureは実行中のサービスに変更を加えることは許されない。実行しているサービスとソースとなっているコードの間に差異が生じるとコードを再デプロイしたときの再現性が失われ冪等性がなくなるからだ。

こうしたことから考えると、コンテナを「負荷が少なく起動が早いサーバーインスタンス」と理解するのは誤りだ。コンテナはビジネスニーズに応じて、Blue-GreenやA/Bテスト、カナリアリリース、サーキットブレーカなどの様々なリリースパターンを実現するためのコードベースのデリバリーバイプラインである。Immutable Infrastructureではテスト済みサーバーをリリースするのではなくテスト済みコードをリリースする。コンテナシステムではリリースされたコードを管理するライブラリ、そのライブラリから実行環境にデプロイする機能、コンテナイメージを認証するセキュリティなどの機能が中心になっているのはそのためだ。

 

NFR Management

コンテナベースのシステムにおける可用性の考え方は、クラウド環境のFailure Based Designに基づいている。クラウド環境は非常に多くのコンポーネントが用いられているので障害に出会う可能性は高い。しかし、クラウド基盤は大規模なスケールを持っているので障害は局所的であることが多く、クラウドに再プロビジョニングを任せれば正常なサービスを得ることができることが多い。コードベースのImmutable Infrastructureを実現していれば、リリース作業を再度起動すれば同じサービスを再開できると考えるのが基本だ。固定的なサーバーをどれだけ長く動かし続けることができるか(MTBF)という視点でSLAの可用性を管理するのではなく、動かなくなったらどれだけ早く回復できるか(MTTR)という自動化の視点で管理するのが望ましい。サービスのメトリクスを管理し、システムのログやインシデントを総合してサービスの健全性を判断し、サービスインスタンスの追加や削除、再デプロイなどを管理するのがクラスター機能だ。VMベースでもコンテナベースでもクラスタリングの機能は提供されるので、適したクラスタリングフレームワークを選択すればよい。サービスメトリクスはアクティブユーザーなどのビジネスメトリクス、APM等からフィードされるパフォーマンスメトリクス、システム監視からフィードされるシステムメトリクスがある。プロバイダー、リージョン、AZにまたがるこれらのメトリクス群とトランザクションコストを総合的に判断して、非機能要件性能の管理を自動化することが求められている。

コンテナベースのクラスターを用いている場合、サービスのデプロイから起動にかかる時間を短縮できる。このことはダイナミックオーケストレーションへの異なる要求を生み出している。十分にチューニングされたコンテナ環境では数十ミリ秒から数百ミリ秒でサービスの起動が可能なので、ユーザーのAPIコールが届いてからサービスの起動をすることも可能だ。もちろんトラヒックのない時にインスタンス数をゼロにしておくことはないが、トラヒックが到着してからサービスの提供環境を変化させる動作が可能になっている。)このことは可用性に関する考え方を大きく変化させる。サービスは動いている状態が安定しているのではなく、動いていない状態が安定しているのだ。ここまで述べてきた通り、コンテナのサービスインスタンスは動いていないことが安定しているので、コンテナのライフサイクルは極力短くします。インスタンスは、現在のインフライトの処理数、総処理数、連続稼働時間などのポリシーでできるだけ短いサイクルでリフレッシュしておくのがよいでしょう。こうしたことを日常的に行うことで緊急時の対応が迅速に行えるようになる。こうしたクラスタリングの様々な機能をパッケージングしたコンテナクラスターのダイナミックオーケストレーションは非機能要件の管理に新しい考え方をもたらしている。

 

Volatile vs. Persistent

アプリケーションにはフロントエンドの揮発性インスタンスとデータを保持する永続化インスタンスが必要です。コンテナクラスター内で動かすフロントエンドのアプリケーションは再デプロイして機能を再開することが前提となっているので、基本的にステートレスであるべきです。ステートレスなアプリケーションは負荷分散装置で並列化することができるため、負荷分散装置がクラスターの入り口に配置されています。負荷分散装置配下のコンテナはクラスター内のプライベートなアドレスを自動的に振られ、コンテナクラスターの発行するサーバー証明書をそれぞれインストールしています。こうしたステートレスなインスタンスは前の節で述べた通り、いつ消滅してもアプリケーションに影響が少ない揮発性のインスタンスです。一方で、トランザクションのセッションや再ロードできないデータセットなどはデータベースやデータストアに永続化しておく必要があります。これらの永続化するインスタンスはデータの保護を中心に考えて負荷分散装置とは異なる実装をします。インメモリーのキャッシュや多地点保存のオブジェクトストレージ、同じくマルチインスタンスのKVSなど永続化の特性によって選択します。

フロントエンドの揮発性インスタンスは、どのような環境でデプロイされても必要な永続化インスタンスの位置を探り当ててサービスとしてバインドすることが必要です。永続化インスタンスとの接続プロファイルにも冪等性のあるバインディングのメカニズムが求められます。負荷分散機能、コンテナ、ライブラリ、デプロイ、モニタリング、永続化サービス、バインディングなどを一つにまとめたアプリケーションクラスターを活用することで、クラウドネイティブな環境を一気に手に入れることもできる。

 

Transaction Control Point

永続化インスタンスを運用する上で、アプリケーションレベルではトランザクションログの保全トランザクションコンペンセーションを適切に設計していることが大切です。フロントエンドでセッション情報を維持することは極力避けたいので、ユーザーの発するトランザクショントランザクションコントロールポイントを設定してトランザクションログを保全するべきです。近年のWEBアプリケーションにはこうした傾向にあるので、フロントエンドではユーザーアクションをログに書き出し、バックエンドのアプリケーションプロセスがログを読み出して永続化処理を行うPublisher-Subscriberのアーキテクチャパターンを選択することがあります。SOA時代のコレオグラフィーというアーキテクチャーパターンに非常に近い考え方です。こうすることで、バックエンドのマイクロサービスはドメイン境界を厳守した個別のデータとトランザクションでの運用が可能になります。アプリケーション障害が発生した場合にはログをベースに、各マイクロサービスにトランザクションごとの処理状況を確認してフォワードリカバリーあるいはロールバックを選択することができます。インフライトのトランザクションのコンペンセーション負荷が高くなりすぎないようにマイクロサービスのトランザクションリカバリーはトランザクションごとに分散して行えることが重要です。

欲望の資本主義2020 日本・不確実性への挑戦

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ここで示される日本の課題は高齢化、分断そして格差だ。

ジャック・アタリは日本の競争力は低下し続けていて先進諸国最下位だと言う。森田長太郎は長期的な労働対価の低下の原因として、IT産業を頭脳資本主義と槍玉にあげる。IT産業の能力格差は鉱工業生産性の格差をはるかに上回るという主張も繰り出される。労働力の格差は労働者の奴隷化や相対的貧困を生んでいる。スティグリッツは資本主義の利潤が民衆のためにならない現実に対し、民主主義が正しく働いていないと批判した。今年の番組では、格差の彼我をこれまでの資本家と労働者階級ではなくIT産業とそれ以外の産業従事者ととらえ、同じ労働者集団内での格差に視点を移している。

MMT(Modern Monetory Theory)の議論も活発だ。MMTの詳しい内容は他に譲るとして、これまでの経済学では市場参加者の一つとして捕らえられていた政府を、市場と向かい合う対立した位置に置くことで市場における貨幣流通量の調整能力として考えるのがMMTだ。そこで向かい合うべき金融政策のFinancial Constraintは財政の健全性ではなく、民間の生産力に見合った通貨流通量だ。しかし、もちろん円という通貨に対するグローバルな資本家たちの信頼を失ったら通貨そのもののが機能しなくなってしまう。

 

MMTを実践したと言われている日銀の異次元緩和をリードした岩田元副総裁は、それはデフレとの戦いだと繰り返し述べる。デフレが需要を冷やして生産が抑制された結果、正規社員の採用を抑え、非正規労働者の増加と低賃金につながり、結果としてデフレスパイラルに陥ってしまう。将来への不安がモノよりお金を持っていたい心理に拍車をかけてしまうと言う。そのうえで、2%程度のインフレが正しいインフレだという認識を示す。需要喚起策としての低金利を需要の先食いだなどと批判するエコノミストは需要の本質がわかっていない、人間の欲望(需要)は本来限りがないものだと岩田は喝破する。知ったような顔をして「日本経済の停滞は経済的な実力を失ったからだ」という悲観論者は将来の不安をあおり期待を下げる厄介者だ。そもそも問われている実力とはなんなのか?米中IT産業と伍する力だとでもいうのだろうか。岩田は、現実問題として(因果関係が証明できないけど)新しい産業や新しい知識職に対する企業の需要は高まり、結果として近年は人手不足を作り出せていると指摘する。

<思うこと> そうだ、新しい人材に対する期待は高まっている。その期待は裏切られるとも裏切られないともわからない投機にちょっと熱をあげているようでもある(人材バブル)。今、日本に問われている「経済の実力」とは「希望を持つ」ことであり、それは新しい知識を持ち変革の萌芽をもたらしてくれる若い力だと思う。変革の果実は不確実で約束なんてされていないけれど、人材への投資は、日本経済の将来をかける希望なのだ。

 

不確実性に対処するには、労働環境における移動の自由を保証して労働と生産の安全性を高める(アタリ)、人口動態を注視し国家の繁栄に必要な人口目標を立てる(森田)、経済の線形モデルを複雑系のカオス的なものに置き換える(ファーガソン)などの主張が紹介された。これまでも経済学の線形モデルに基づく理論が正しく将来を予測できた試しはない。経済に必然的に含まれている不確実性は計算できるリスクなどではなく、計算不能なものだからだ。森田は線形モデルではなく実態から計算する必然性を語った。

<思うこと> これまでの科学的研究では、人間が認知しやすいようにパラメーターの少ない(オッカムの剃刀)単純なモデルを線形代数に表して、計算結果と現実を比較することで正しさを検証してきた。しかし、現代の深層学習や統計的機械学習では「複雑な事象を複雑なまま大量のデータとして扱ってモデルを生成する」(PFN丸山氏の講演より)ことができる。圧倒的なデジタル処理能力の向上が人間の認知限界に拘束されないモデルを、現実のデータからリバースエンジニアリングするように作り出すことができるのだ。これからの経済学には机上の理論ではなく現実の写像となるデジタルツインの空間像が大きな役割を果たす。

 

次に登場するのは前回、欲望の資本主義2019特別編に登場した貨幣論岩井克人だ。ガルブレイスが資本主義を、欲望を作り出す製品広告の構図であり欲望は生産に依存すると言った。GAFAに集中する力や中国の監視社会にブロックチェーンを用いている点を指摘し、評価経済の怖ろしさを説く。評価経済は必ず平均値があり平均以下の評価貧困の格差を生み出すというのだ。岩井は常に資本主義が辺境を求め、格差による利潤を求めて彷徨うと資本主義の行方を暗示した。さらに貨幣論でも語られた不安心理によってお金を貯め込んでしまう不況の深因だったり、貨幣そのものが他人の信用を当てにする、かつ人に渡すために手に入れる目的の「純粋な投機」であったりすると、貨幣の正体を明らかにする。美人投票に語られる合理的行動の不合理さもここで示し、限定合理性の判断が政治(民意)をも歪めている現実を直視させられる。

<思うこと> GAFAブロックチェーンを監視社会に基づく評価経済ディストピアとしているのは、技術が人によって運営されている点にあえて目を背けた議論ではないだろうか。監視したいのは政府であり、スコアによって有利に行動したいのは個人なのだ。突出した相関関係を見ると因果関係にあると勘違いするのは経済学のセオリーなのか、ITを悪者にしたら誰もが納得するのは利用可能性ヒューリスティックの代表例のようだ。

 

ケインズ曰く、経済は「数学的な期待値ではなく自然と湧き上がる楽観」によって動いている、経済の本質的な不安定性を根拠のない選択であるアニマル・スピリッツだ。アダム・スミス以来、経済学のモデルは全ての経済的関係を契約に基づく利益に置き換えてきたが現実は異なる。経済合理性はすべての経済的選択を支配しているわけではなく、相互の信認によって「任す、任される」という関係が存在しうる。スティグリッツは日本の経済学の巨人、宇沢弘文を議論に引きずり出し、宇沢のいう社会的共通資本(Social Capital)は、人間がまやかしの豊かさではなく本当に心が生き生きとする社会を実現しようとしていると説く。社会的共通資本(a.自然環境 b.社会的インフラ c.制度資本)は利潤を生む資本主義の経済とは切り離すべきだというのが、宇沢の主張だ。 社会的共通資本には経済的な合理主義は似合わない、そこに岩井の「本当の心の自由を守るために、自由放任主義と決別すべき」という主張が重なってくる。

<思うこと> 経済学が純粋科学のように打ち立ててきたモデルが崩壊し(実はそもそもモデルが正しく働いたことなんてなかった)神の手による合理的な選択は結局強欲となって社会システムを蝕んできた。また、AmazonGoogleが行なっているような直接的な利潤追求とは違うデジタルの経済活動に直面すると神の手は凍り付いてしまう。

 本来人間同士の信頼によって成立してきた貨幣による資本主義の形を「コモンズ(共同体)」の発想に修正するのが社会的共通資本の方向性なのだろう。これまで放任してきた公的経済を単純化することなく複雑系のまま理解し公共の利益のために制御することが果たしてできるのか。人間の知恵が試される。



カルロ・ロヴェッリ「時間は存在しない」

アリストテレスは何も動かなければ時間は経過しないと考え著書『自然学』の中で「暗闇の中ではわたしたちの体は何も経験しない」と述べた。反対にニュートンは『プリンキビア』の中で事物とは全く無関係な独立した流れの時間が存在すると述べている。近代物理学はニュートンの「数学的で絶帝的な真の」時間を用いることで非常にうまく働いてきたので長い間この対立はニュートンに軍配が挙げられてきた。

そこから千年以上遡る昔、キリスト教の聖人 聖アウグスティヌスは時間を知覚する自分たちの力を「わたしたちは常に現在にいる。なぜなら過去は過ぎ去っているので存在していないし、未来もまだやってきていないから。」と時間の経過を測るものはわたしたちの精神の中にしかないと、客観的な時間の概念を否定した。過去は記録でしかなく、未来は多くの可能性が未定なのだ。時間を根源的に定義づける熱力学におけるエントロピーも、秩序立つという前提を疑えば時間の経過によって乱雑になるという定義そのものが揺らぐ。

アインシュタインとその一派が顕にしたように、時間は相対的なものであって場所や重力の影響でその時間の進み方は異なっている。山の上では時間はさっさと流れ、低地ではゆっくり流れるのだ。時間も物質と同じようにこれ以上小さくできないプランク長(10のマイナス33乗センチメートル)のような単位で、時間の量子的な重なり合わせが存在しているようだ。かくして、時間も量子的な不確かさの混沌に投げ込まれ、すべてが主観的で相対的なものになっているのだ。

 

この本を読みながら、二年ほど前に書いたブログを思い出していた。

言語(CODE)と認知(Cognitive)
http://sociotechnical.hatenablog.com/entry/2017/06/28/144155 

SFの名作、テッド・チャンが書いた「あなたの人生の物語」は映画「メッセージ」の原作です。物語は言語をめぐる謎解きが中心なのですが、時制を超越した言語を持つ異星人が未来を予想する認知能力を主人公にもたらします。

この物語の中で異星人はその独特な言葉 文字を扱って時間を操り未来を予測するという。その能力が異星人にあるのは、その生まれた星では時間の流れが大きく違うところが存在していて主観的な時間の揺らぎに適応進化した結果だったのかもしれない。

非常に楽しい読書体験だった。満足満足。

 

 

「AI以後 変貌するテクノロジーの嬉々と希望」丸山俊一著

「AI以後 変貌するテクノロジーの嬉々と希望」丸山俊一著

マックス・テグマーク、ウェンデル・ウォラック、ダニエル・デネット、ケヴィン・ケリーという技術、倫理、哲学、そしてメディアの巨人を迎え撃つのは、NHKエンタープライズでBSスペシャル欲望の資本主義シリーズなどの話題作を世に問う、エクゼクティブプロデューサーの丸山俊一氏だ。

人工知能をAIという二文字に表すこの書籍は、テグマークのAI安全工学の枠組みでスタートする。アシロマAI原則、LAWS規制、富の集中などAI以後に抱える課題を明らかにし、AIが持つべき「意識」に質があるという地平に進む。ウォラックは倫理をテーマに自然科学をベースに人間共通の理性があるとする啓蒙思想が、倫理を道徳哲学によって科学することができるか、という問いを立てる。そして「知性」を自己認識と知恵と能力の判断だとする。意識を科学するのはダニエル・デネットだ。現在の技術が意識のあるような対話をすることを見せかけだと断じつつ、リチャード・ドーミンス利己的な遺伝子」のミームを出現させてAIの遺伝的進化をAIの創造性のロードマップとして描く。ケヴィン・ケリーはこれまでテクノロジーに影響され続けてきた産業革命以降の人類の来し路をたどって異質なものと交わることで多くを得ることができたのだといいつつ、AIは人間にとって異質な隣人となるか言葉を濁す。

丸山氏はこの四領域を一つ一つ丁寧にピックアップしつつ、意識は身体にインストールされているのか、身体が意識を持っているのか意識の二元論を俯瞰していく。それはこれまで論じてきた意識に関する議論を統合して、東洋的な心身一元論と対比しながら知性の「理解力なき有能性」という結論に近づいていく。

 

本書の短くコンパクトにまとめられた凝縮した議論は、大きな知的興奮を与えてくれます。

現在、人工知能の工学的なアプローチで安全性や説明可能性が注目されていますが、ケリーは説明可能なAIを作るということが、自己存在と能力判断という知性を持った意識を作り出すことにつながるといいます。身体と意識の二元論は知性における一つのアーキテクチャであって、タコの知性のような分散処理系と人間のようなより中央集権的な処理系の違いでもあります。ウォラックは文中で、神経科学者バーナード・バーズが提唱した「意識はワーキングスペースで統合される」という意識の構造であるグローバルワークスーペース理論を機械に実装することができると中央集権的な二元論の実装を意識させます。一方でAIの意識がその処理能力故に必然的に分散処理を運命づけられるのであれば、群れのパターンが局所的相互作用が大量に集まって創発するというような群制御理論がAI以後の意識の基礎になるとも思います。デネットは進化を「設計なき適応」としましたが、AI以後のAIの進化が漸近性を獲得するなら、遺伝的アルゴリズムがもつ変異を時間に織り込んでいく生物の進化から人間が独立したような自律的進化を手に入れるかもしれないという可能性を示します。

「理解力なき有能性」はダニエル・カーネマンのファーストアンドスローを思い起こさせる。システム1によって引き起こされた誤りに満ちた非合理な判断は、非合理で有用な結論を導くか。そして、システム2がもたらす合理性は、それを極限まで突き詰めたときに限界費用ゼロ、富の偏在そして資本主義の崩壊をもたらしてしまうのは避けられないのだろうか。

 

日経記事 「物価はなぜ上がらないのか アマゾン・AIで構造変化?」

物価はなぜ上がらないのか アマゾン・AIで構造変化?

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49396010U9A900C1I00000/

 

グローバルサプライチェーンによって拡大した経済圏では需給をベースにした価格調整機能は働かず、失業率が下がっていても物価は上がらない。また、デジタルエコノミーによる超効率経済では生産物流の合理化がすすみ、様々なプロセスをバイパスすることで中間の需要を喪失し、そして最終価格は需給には無抵抗に下がってしまう。そのデフレ圧力下ではものよりお金の価値が高くなり皆、お金を持っていたいので貯蓄は増えて企業は不確実性に備えてキャッシュを積み増す。そして需要がどんどん消え去っていく。

記事の中では言う。「金融政策の力には限界があり、財政政策が重要になる。それは政治的なイデオロギーではなく、経済的な現実だ」(ローレンス・サマーズ前財務長官)

ITが経済をぶっ壊しているというのは、ITをコストダウンにだけ利用しようとしているからだ。今から必要なことは経済性を損なっても人類の未来のためになることに多くの支出をすることだろうと思う(SDGs)。地球温暖化や海洋プラスチックというような課題に直接的な投資をすべきだと思うが、経済合理性がないのでそれに代わる新しい共同幻想を作り出すことは可能だろうか。

 

 

奇跡の経済教室【基礎知識編】 中野剛志

 

平成日本はサッチャーレーガンに続く、ハイエク新自由主義が席巻した時代と捉え、日本のデフレ脱却の失敗を鋭く指摘する異説の書です。「小さな政府」と「自由市場」を目指した「構造改革」の中身だった財政支出の削減、消費増税行財政改革規制緩和、自由化はいずれも人為的にデフレを引き起こす政策でした。それに反して、ケインズは慢性的な需要不足によって経済活動が停滞し不要な失業が生じる不況時において、財政を出動して政府が需要を作り出すべきだと論じました。

平成を通じ日本経済はデフレに苦しんできていますが、経済成長というのは基本的にインフレを前提としています。インフレは需要過剰・供給不足なので、貨幣価値が下がっているので金よりモノがほしいという状況になります。一方で、デフレは需要不足・供給過剰なので貨幣価値が上がっているのでモノよりも金を持っていたいという人が増えてしまいます。「合成の誤謬」というのは、デフレの時には物価が下がり給与が抑えられるのだから、流動性性向が高まり貯蓄を増やすのはミクロで見たときの個人や企業として合理的なのですが、経済全体では需要がさらに減退し、マクロ経済として見た時には誤りになってしまうことです。本書は財政出動における国債と財政の動態を「信用貨幣論」によって解説しようとしています。

本書に倣ってインフレ時とデフレ時の対策の違いを比較してみます。

・インフレ対策
需要を減らすためには消費と投資を減らす。公共投資を減らし小さな政府にすることと、民間投資を抑制するために消費税などを増税、日銀が金利をあげる。供給を増やすためには生産性を向上させて同一原価での生産量を増やす、規制緩和や自由化、グローバル化によって競争を促進して生産性をより高める施策をとる。

・デフレ対策
需要を増やすためには消費と投資を増やす。財政支出を拡大し、減税を行う。規制を強化し事業を保護する。

 

本書は財政出動における国債と財政の動態を「信用貨幣論」によって解説しようとしています。この信用貨幣論についてはデヴィッド・グレーバーの名著「負債論」に詳しい。負債論については法橋和昌氏の書評もぜひ参考にしていただきたい。

https://kznrhs.hatenablog.com/entry/2019/08/22/011300

グレーバーは古代中世の貨幣の歴史を通じ、貨幣は物々交換から発生した等価交換の「貨幣商品説」ではなく、貨幣は負債と信用の印である「信用貨幣論」を展開しました。負債と信用を簡単に解説してみます。太郎が春に苺を収穫して二郎に渡し、代わりに秋に二郎がとった芋をもらうことにしました。二郎は太郎に対して負債を負い、太郎は二郎に対して信用を与えています。太郎は二郎が発行した借用書を持っているとします。そこに三郎がやってきて太郎に薪と将来の芋を交換しようと借用書を持っていくことができます。三郎は四郎に借用書を渡すことで、士郎の持っている梅を買うこともできるようになるのです。このときに二郎が秋に借用書の持ち主に対して芋を渡すことができるという信用が4人全体で共有されています。そもそも物々交換を成立させるはずの両者の欲望がぴったりと合うことはめったに起こらないため、貨幣商品説は成立しなかった、というのがグレーバーの見立てです。

ある負債を基準とした信用を流通させることで発生した貨幣なので、貨幣を創造するということは負債を発生させるということになります。その基本から銀行の役割が見えてきます。現代貨幣の大半を占めるのは現金ではなく預金です。銀行は企業や個人に例えば一千万円を貸し出した時、銀行の現預金から現金を取り出して手渡すのではなく、借り手の口座に一千万円と書きつけた時に負債、つまり貨幣が発生しているのです。これを信用創造と言います。そして、借り手が債務を返済すると預金通貨は消滅します。準備預金等の銀行自体の健全性のための規制はあるものの、銀行は貸付けのために自由に通貨を発生させることができるという存在なのです。銀行の貸出しの限界は手元の資金量ではなく借り手の返済能力にあります。銀行による国債の買い入れも同様、日本銀行による政府への信用創造であって事実上の財政ファイナンスと言ってよいのです。こうした信用貨幣論によると、政府が国債を発行して赤字財政支出を行うことは、国の借金を増やし負担を増やすと思われがちであるけれど、財政赤字はそれと同額の民間貯蓄を生むので問題がないということです。国の支出は需要を増やしデフレを脱却する一つの道だということです。また自国通貨立ての国債を発行している以上、その国家が破綻することはないということも論じています。

小さな政府、行財政改革プライマリーバランス回復、自由化、規制緩和グローバル化の推進というような平成日本の行財政方針は完全にインフレ対策のための処方箋であって、貨幣がどういうものであるかを理解していないことで、起こった未曾有の大惨事だということです。イギリス女王から尋ねられたように、これまでの経済対策をリードしてきた主流派経済学者はなにをしてきたのでしょうか。

その主流派経済学者から厳しく批判されている、現代貨幣理論MMT(Modern Monetery Theory)は本書の立場と同じく自国通貨と自国通貨建て国債を発行できる国家は破綻しないというものです。財政赤字によるインフレのリスクを考慮しない極論と片付けられがちなMMTですがデフレに苦しむ超生産性社会において、あたらしい資本主義運営の形なのかもしれません。政府の関与を大きく考えている本書では、ビットコインのような自由主義の仮想通貨についても否定的に考えています。ビットコイン金本位制と同じ「貨幣商品説」に法っているので、発行ペースと上限が制御されているので、年々希少性が高まり価格が上がりやすいのです。貨幣の価格が高くなるということはデフレを引き起こす原因となり、中央銀行のないビットコインは経済政策をとりにくいため貨幣としての役割を果たせないと考えているようです。

NHK「欲望の資本主義 特別編 欲望の貨幣論2019」視聴メモ

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2225682/index.html


「貨幣信用説」貨幣は情報である。

ビットコインは貨幣そのものをアダム・スミスの提唱した「市場の神の手」に委ねるようなもので、1976年ハイエクの貨幣自由化論(貨幣非国有化論)による純粋な自由放任主義の実現ともいえる。しかし、ジャン・ティロールによるとマネーロンダリングの危険が除去できないいかがわしさと、国家の持っている通貨発行益が消えてしまうこと、そして金融政策を壊してしまうことを指摘してビットコインは成功しないと言った。

ビットコインは採掘による希少性と新規発行ペースと上限の設定によって金本位制通貨と同じ構造を持ってしまった。そのために金融市場などの安定のために機動的に金融政策を実施することはできず、貨幣の機能を果たすことができない。現状貨幣は金本位制から離脱し経済規模の限界を超えた資本主義の発達を支えている。これは、物を交易するという経済が、お金を中心に変わったということを示している。

ビットコイン(仮想通貨)は投機資産として使われてしまいお金として使われなくなってしまった。本来お金は誰もが一定の価値を認めることで流通するものだが、価値が大きくなることを期待して貯蓄することを目的とした投機になってしまった。投機とは使うためではなく人に渡すために入手するものであるけれど、お金も他の人が受け取ってくれると信じるから入手するのであるから、通貨というのは元来投機的な側面がある。ケインズの「美人投票(美人に投票するのではなく一番人気を予想してしまう)」の話にあるとおり、投機が不安定になるのは非合理的な人がいるからではなく多くの人が合理的に振る舞うから人の心を読まなくてはならなくなるからである。

マルクスは全ての価値を労働に基準を求め「労働価値説」を提唱したが、総量が決まっている以上、金本位制などの貨幣商品説と変わりはない。岩井教授は「お金の価値は社会が決める」という自己循環論法(=お金の価値を決めている社会の価値構造もお金によって成り立っているので自己循環している)から、貨幣は誰もがその価値で受け取らざるを得ないという存在であるといった。ケインズは将来への不安などから将来の可能性を確保するためにお金を欲しがり貯蓄するという「流動性性向」を定義した。デフレは物価が上がらない現象をいうが、相対的にお金の価値が高くなっていくので流動性性向はより強化され貯蓄性向が高くなっている。使うためだったお金が、お金を目的とした経済行動へと動いてしまったのが近代日本の問題だ。

古代ギリシャアリストテレスの時代、貨幣は都市生活者の必然であった。貨幣によって独立できる個人という存在が可能になり、平等な個人という民主主義を育むことになる。一方で貨幣に対する無限の欲望は、無限の蓄積を呼んでしまう(デフレが貯蓄性向をさらに強める)。人々の自由のためにあると新自由主義を訴えたハイエクも数字の競争から逃れられない。スティグリッツによると、アダム・スミスは資本主義の行く末など見たこともないのだから経済の全てを見えざる手に放任してはいけないと指摘した。強欲にまみれた自己利益の追求そのものが自由意志などではない。

資本主義とは「商品生産をともなう活動全体」であるとしたら、「産業革命以来科学が生産性を高め、費用と価格に差を作ってきた(スティグリッツ)」。交易によって差は辺境へと広がり、貿易によって経済に組み込んでいくことで成長してきた。岩井教授によると資本主義は、普遍化して辺境を失い不純物がなくなってしまうと滅びるのだ。資本主義が本来的に持っている不安定さ、貨幣が無限に溜め込まれる流動性性向が格差、不平等、環境破壊、金融危機を引き起こしている。ハラリは「合理的な資本主義を突き動かしている不合理な欲求に放任しても幸福は実現できない」と指摘する。スティグリッツは「資本主義はもうお金だけを追う人だけでは進化しない」として新しいアイディアの実現や環境などのSDGsへの投資を銀行家のモラルに求めるようなことが必要だと言った。

情報資本主義というディストピア。未来の通貨はデータが創る。データを前提とした価値体系というものが忍び寄っている。GAFAに操られて、プロファイルやコホートのある数値になる人々の行動。いいねの数、サービスの評価ポイント、個人のファイナンススコアなどの評価経済は、そのうちにより良い評価を得るための行動へと変化するだろう。しかし評価は常に平均との比較であり、平均以下という辺境を作り出す存在でもある。貨幣の匿名性は評価経済への最終防波堤である。イマヌエル・カントは人間の内なる価値を「尊厳」として交換できない価格に転換できないものとしたのだ。