イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

欲望の資本主義 第三弾 「偽りの個人主義を超えて」

欲望の資本主義 第三弾 「偽りの個人主義を超えて」を書籍化。The FourでGAFAを厳しく批判したスコット・ギャロウェイ、その後に暗号資産の将来の賛否を述べてから、ユヴァル・ノア・ハラリがホモ・デウスで述べたような技術の静かな暴走がもたらすディストピアを警告します。そして、気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルの新実在論から見た経済と社会を語った記録です。ハイエクの語った新自由主義は本当に自由な経済人によるものだろうか、中央政府による支配を語るケインズは正しいのだろうかという疑問をなぞっていく形で進みます。 

エクゼクティブ・プロデューサーである丸山俊一氏が記すあとがきでは、ハイエク新自由主義デュルケームの連帯と分業(私たちにはマイケル・ポーターバリューチェーンというような俗っぽいものの方が馴染みやすいが)の論考から、組織を離れた個人の自律的な連帯が語られます。しかし、インターネットが目指した公平なピアツーピアで自律的な理想はうち倒れ、GAFAのような存在は中央集権的に人々を支配しています。ハイエクは「社会における知識の利用」において完全な情報は集中的に統合された形では存在しないがゆえに中央集権的な計画経済による統制は失敗すると主張しましたが、今GAFAのような存在が世界の欲望にかかわる完全な情報を持つのであればレオニード・カントロビッチが『経済資源の最適配分論』で述べたように計画経済が社会に高い効率をもたらすのではないか、と論じたのは「プラットフォーム革命(Modern Monopolies)」を書いたアレックス・モザド達です。社会主義的な計画経済が超効率を社会にもたらした限界費用ゼロ社会は、個人の自己決定の余地を残してくれるのでしょうか。すべての物や行為にプライスタグをつけようとするトランプのような経済的存在に対して、個人は真実を体現する”時間”という価格につながらない価値を見いだすことができればこの経済という呪縛から逃れることができるのでしょうか。


丸山俊一氏はさらに、自我の存在を語るダニエル・デネット「心はどこにあるのか」を示し、心は脳にだけ存在するという心身の二元論を否定する。IBM TEC-Jプレゼンツ「知性の勉強会 第二弾 意味とはなにか知性のアーキテクチャ」では、自我は意識の中にあるけれども、意識は自我という枠の中に存在するのではなく、意思を持たない小さな生命体の群生とその分散的な制御のなかにあるのかもしれないという議論をしました。経済的な行動との結びつきはまだよくわからないですけども。

自由な研究テーマを自由な時間に行うことの大切さ

うちの会社では技術者が自由に研究活動を自律的に行うことを推奨しています。テクニカル・コミュニティといいテクノロジーカンパニーとしてよい文化だと思います。しかし、社員が時間を使っているのだからということなどで管理強化を訴える人がいます。

 

〜以降は私の個人的な意見です〜 

「テクニカル・コミュニティは責任ある個人が自律的に研究活動を行うもので、誰かから与えられた活動の評価指標のようなものは不要です。」

 

グローバルの研究開発への貢献やビジネスの成果、対外的な資格認定や論文評価など、組織的に求めたくなる指標はありますが、テクニカルコミュニティにとってそういった成果は讃えこそすれ形式的な管理評価は不要です。「自由な研究テーマを自由な時間に行う」ための時間的なゆとりが技術者の創造性を育み、反対に指標さえ満足すれば良いという行動から脱することができると思うからです。
テクニカル・コミュニティにおいて最も重要なことは参加者の自由な研究意欲です。しかし評価が前提となった研究活動では期待された効果があるものしか選択できません。失敗と無駄を恐れ、評価に繋がらないテーマには挑戦しないので、自然と全体が同質化してしまいます。そのように秘密結社化すると、新規参入のハードルが高くなり多くの活動が多様性を失いダイバーシティインクルージョンを失ってしまいます。結果として組織は不確実性に対応できず、不連続な成長を手に入れられません。

現実的にコミュニティ活動をリードしていく場面でも、評価基準を明確にしようとすると、評価基準が決まるまで動けないので活性化の時機を失ってしまうし、そもそも管理そのものにかかるコストが高く、効果もありません。

デイルドーテンは「試してみることに失敗はない」と名言を残しましたが、研究活動において結果が失敗に見えようとも、あらゆる研究成果が尊いと思います。そういう意味では、例えば人工知能ロボットによる東大入試から撤退した著名な女性研究者をこぞって研究の失敗だと叩くのは間違いだと思いますし、さらにダイバーシティを失った行動です。私はこれからも、失敗に学び果敢に新しい領域に挑戦する技術者や研究者の自由な活動の場を維持したいと思います。

 

<さらに個人的な蛇足>
TIM O'Reillyは近著「WTF経済」で「単純で分散化したシステムは中央集権化した複雑なシステムよりも新しい可能性の生成がうまくいく。それはより素早く進化できるからだ。」と述べました。同様に知識が分散化して存在する自律的な組織とそれをゆるやかに協調するコミュニティがより早い進化をもたらすものだと考えています。シャロン・ダロッツ・パークスの名著「リーダーシップは教えられる」においても現代のリーダーシップはカリスマ的なリーダーによる中央集権管理ではなく、チームの熱量を調整する役割である、と数値管理を厳しく否定しています。また、コミュニティは最近流行りのホラクラシー組織とも違います。コミュニティでは基本的な価値観をコンスティテューションにはするものの、権限やそれに対応した明確な役割は無いからです。つまり、ありきたりな管理強化に頼るのは、複雑化する時代においてリーダーシップを論理的に設計できないことの裏返しなのです。ホスト集中のシステムばかり設計していないで、分散システムを協調的に動かす仕組みでも設計したらいいのにね。

「電気通信事業における競争ルールの包括的検証」レポート(後半)

Interop Tokyo 2019 総務省総合通信基盤局の谷脇局長による「電気通信事業における競争ルールの包括的検証」を総括するというセッションの後半はDFFTとネットワーク中立性に関する議論。(前半はこちら


「信頼できるデータ流通」の議論はSociety 5.0においても重要な課題とされてきた。参考文献として示されたのはレイチェル・ボッツマン の「TRUST」だ。サイバー空間のトラストは分散型のトラストであり、大きく5つの領域にまたがっている。1つ目は個人の正当性でありID Credentialである。続いて企業や組織の正当性、モノの正当性の課題がある。残りの二つの領域は通信の領域で、通信が改ざん盗聴されないということと、確実に届き送達が確認できるということだ。フェイクニュースのような信頼性の低い情報にかかわる規制は表現の自由との関係が重要になってくる。デマや誹謗中傷を芸術や批判的風刺の中から見抜くのは難しい。ドイツではナチズム排除のための表現を規制する法律があり、デマを禁止している点も注目される。今後は、どのようにファクトチェックを行っていくか技術的、組織的な取り組みを注視する必要がある。

 

「ネットワーク中立性」は、OTT事業者によるビデオ配信やIoTデバイスのバースト的なトラヒックがネットワークの帯域を圧迫し輻輳してしまうという課題である。帯域に対して投資すべきなのは、OTT事業者か広告主かあるいは通信事業者なのか、明確な答えが求められている。谷脇局長はインターネットが本来ベストエフォートで自律分散的な管理が行われてきていることは承知しているとしながらも、輻輳時のシェーピングや優先制御の必要性や、ゼロレーティングやスポンサードデータなどについてなんらかの基準があってもよいのではないか、と指摘した。歴史的にはかつてピアツーピアネットワークが流行した時に有線ネットワークに関する帯域制御ガイドラインがあったが、モバイル通信が大半を占める通信環境においてどうすべきかを検討する必要がある。トラヒック制御の一つは輻輳時ヘビーユーザーを制限して有限資源を公平に割り当てる公平制御、もう一つは優先制御に関するガイドラインだ。しかし、優先制御を規制するといっても今後は5G通信機能としてスライシングが当たり前に行われるようになるなどモバイルの技術動向にも配慮が必要だ。

ゼロレーティングはコンテンツプロバイダー間の公平競争という視点とOTT事業者の公平負担という視点がある。電気通信事業法のなかで規制を行うのかというと事業を萎縮させてもいけないので、ある意味で解釈ガイドラインのようなもので各事業者の動向に配慮しつつ様子を見て、先回りしないように協働していく対応が求められている。ネットワーク輻輳についてはトラヒックの把握が重要で、東京のインターネットエクスチェンジと地方に分散しているインターネットエクスチェンジ、CDNを通じたトラヒックなどの実態をどのように把握するか、モニタリングについても今後の課題となる。地方のインターネットトラヒックについて考える一つのことは、ユニバーサルサービスの負担についてだ。ユニバーサルサービスはこれまで電話に対して行ってきたものであるが、今や国民生活にとって必須サービスとなったインターネット接続について地方行政と連携して議論をすすめる必要があるのではないかと考える。

 

5Gモバイル通信について谷脇局長は広帯域化(eMBB)だけではなく低遅延高信頼性通信(uRLLC)や大量の端末(mMTC)についても進めていくことが大事であるとし、今後の新しい取り組みに期待を示した。無線通信の試験的な取り組みのスピード感を上げていくために行ったのが、技適を180日間届出制とした電波法改正だ。次に取り組むべき電波行政の改革は動的帯域割当で、時間単位で周波数の割当を変えるような仕組みだ。周波数の割当変更は本来、民間同士の交渉が前提となっており一つのバンドを共用している事業者同士の取引として時間別に利用するなどの対応になる。

「電気通信事業における競争ルールの包括的検証」レポート(前半)

Interop Tokyo 2019で東京大学の江崎先生がチェアをされた総務省総合通信基盤局の谷脇局長による「電気通信事業における競争ルールの包括的検証」を総括するというセッションに参加してきた。非常に中身の濃い内容なので、前後編に分割してメモしておくことにする。前半は総論とオンラインプラットフォーム規制について、後半はネットワーク中立性議論を中心にまとめる。

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電気通信事業における競争ルールの包括的検証

以下は谷脇局長の講演の骨子をメモしたもの。私の理解が追いついていないところがあるかもしれないので、誤りは忌憚なくご指摘願いたい。

 最初に、G20貿易デジタル経済大臣会合@つくばにおいて議論された、DFFT(Data Free Fow with Trust)について江崎先生から問いかけがありここから議論がスタートした。DFFTはデータの流通を信頼できるという前提で促進しようという考え方である。米国のFree Flow「データは基本的に自由である」という基本理念は同一にしながらも、やはりインターネット上のデータのAbuseもあるので、そこを信頼できるようにしたいということだ。欧州のようにGDPRで個人情報流通を厳しく制限したり、中国のように金盾で殻に閉じこもったりする選択と、多国間のグローバルな視点でデータ流通の信頼を取り戻すという選択があり、当然、日本は後者の立場を取るということだ。政府レベルでこの領域に足を踏み出したことは非常に重要だ。サイドストーリとして江崎先生が指摘したのは、NTT Communicationsがアメリカでスマーターシティプロジェクトを進めることができたのも、日本のキャリアとしてデータは収奪しない(通信の秘密)という立場を堅持したからだという面もある、という点だ。


谷脇局長は最初に電気通信事業の現在の全体像を、データ主導社会の到来、電気通信事業法の課題、ネットワーク中立性という視点で総論を述べた。データ主導社会(Data Driven Society)において、サイバーフィジカルシステム(CPS)の閉じたループがもたらすデータの循環は非常に重要である。これまでの課題解決型のアプローチで行われてきた「情報化」というレベルの取り組みではなく、複数の領域をまたぐデータの流通が価値を生むと認識するべきだ。これまで、電気通信事業法は通信キャリアの公正な競争を促進するという視点で運用されてきたが、オンラインプラットフォームが大量のデータを独占的に保有活用しているという課題についても論じる必要がある。かつて取り組んだことのある「ネットワーク中立性」という概念をもう一度取り出して議論することがかなり重要だと思っている。かつての通信キャリアは設備産業でありハードウェアの通信容量が規制の対象であったが、現在はアプリケーションだけにとどまらず通信の高度な制御に到るまでソフトウェア化がすすみ、通信事業法のありかたも変わらなくてはならない。

 

オンラインプラットフォームには、インターネットのサイトだけではなくAndroid/iOSやID管理などの様々なレベルがある。それぞれのオンラインプラットフォームは各個別のサイトがユーザーの信頼を得ようと運営しているのは当然だ。しかし、オンラインプラットフォームは二面市場という特性がありネットワーク効果が相互に効くクロスネットワークエフェクトが働くと、クリティカルマスを超えた時点で指数級数的急速に市場を独占してしまうという課題が生まれている。また、オンラインプラットフォームで主として取り扱うデジタルデータは、ユーザーの増加に応じて複製のコストが下がり限界費用がゼロになる(利益独占も起こる)ことが指摘されている。日本では公正取引という視点からマーケットプレースが優越的立場を利用して出品者に不利な条件を与えていないかという点で議論が始まったところだ。これまで静観していた米国では民主党エリザベス・ウォーレン上院議員などが「グーグルやフェイスブックなどの巨大テック企業の分割」という公約を掲げるなどの動きもある。https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190313&ng=DGKKZO42383770S9A310C1TJ1000

 

グローバルなオンラインプラットフォームの規制について、国内の通信事業者に課せられている「通信の秘密」という問題や社会基盤としての通信の安定性の問題などがある。通信の秘密については国内事業者は通信利用者のデータを覗き見ることはできないと厳しく律せられているが、たとえばGmailはサーバーが国外にあるということで通信事業法の外にあるとされてきた。サーバーが国内設置されたら規制できるのかというとそこも難しく、国際的に分散配置されるサーバー機能のなにを規制できるのか、という課題になってしまう。そこで考えるべきことは通信事業法の「域外適用」というようなことになるのではないだろうか。通信の安定性について課題となるのは大きな障害を引き起こしたGoogleのBGPトラブルのようなことだ。日本国中が大きな被害を受けているにもかかわらず、原因企業であるオンラインプラットフォームにはインシデントの報告義務すらないという。

 

ソフトローは規制のあり方について重要な議論だ。オンラインプラットフォームの規制議論は技術進歩の早さという問題もあり、ハードな規制法を作るというのは速度的に馴染まない。ソフトローはco-regulation(共同規制とでも訳すのだろうか)という形で、ハードな公的規制と自主規制の中間に位置付けるものだ。これは規制対象企業が規制当局と協働して宣言的に自社のマニュフェストを作成し、規制当局は定期的に監査を行ったり情報公開を行ったりする考え方だ。欧州議会選挙を控えた欧州ではフェイクニュース(dis-information)についてFacebookGoogleに行動規範を作って公表させ、遵守状況を確認するレポートなどを出したようだ。こうした結果を踏まえた分析をもとに評価し法制度を検討するのがよい。

 

後半に続く

 

キャッシュを積み上げてもイノベーションには対抗できない。

 

www.nikkei.com

非常に難しい内容だけど、なにか重要なことを示しているように思う。(長文)

生産要素がフル稼働し企業は好景気でも経営者は不確実性におびえてキャッシュを積み増す。実はどんなにお金があっても破壊的なイノベーションに対抗することはできず、単なるゾンビ企業として寸の間生き残るだけだ。企業としては、従業員が変化に対応できるスキルと挑戦のための環境が企業文化として根付いていることだけが企業を本当に生き残らせることができると思う。人への投資、それしかない。それは国レベルでも同様であって教育への投資姿勢を問うべきだ。
どちらも目に見える単純な投資対効果のある投資だけではなく、研究や挑戦というような企業レベル/国レベルを上げる投資を判断できるリーダーシップが必要だということだ。

(要旨)
・生産要素がほぼフル稼働しているにもかかわらず、成長率が低い
・13年以降の潜在成長率は低下している。主な要因の一つは全要素生産性上昇率の低下にある
・一般に全要素生産性が上昇しなければ、労働力の伸び率を超える経済成長は持続可能でない
・企業の新陳代謝の遅れが企業間の資源配分の変化による生産性上昇を停滞させている(ゾンビ企業
・新技術を起点とした生産性上昇の波は社会変革と表裏一体の関係にある
・情報通信技術の急速な発展に対応したインフラストラクチャーへの投資が強調されているのは妥当
・政策が期待している大学の役割は実業教育であり、世界のトップスクールと研究の最先端で競争し、それを通じてイノベーションの中核を担う大学の姿と大きく異なっている。

 

 

「2025年の崖」

www.meti.go.jp

JISA先進技術実践委員会、ソフトウェア工学実践シンポジウムの基調講演タウンホールミーティングで経済産業省 商務情報政策局情報産業課 和泉憲明さんの解説を聞いてきましたので、感じたことなど書き留めておきます。

 

DX(デジタルトランスフォーメーション)はレガシーフリーな企業のためだけのものか。

IT業界、特にシステムインテグレーション領域では、レガシーアプリケーションの変革が進まない、システム保守に大きなワークが取られていて大きな更改ができないと言われています。システム保守に含まれるのは不具合補修や法令対応、マイナーチェンジなどのアプリケーション改修とシステムソフトウェアのアップデートなどです。アプリケーションは機能追加を繰り返すことで複雑化し、Dead Codeも増えています。これは適切なタイミングでリファクタリングをしてこなかった報いだとも言えます。Dead Codeは実際にはユーザーには使われていないのでアプリケーションロジックも解析できない闇となってアプリケーションの複雑さを助長します。

ビジネスシーンからの要求定義から戦略的ロードマップを作り細かく迅速に実装しながら、適切なタイミングでのリファクタリングすることが本質的な解決に繋がりますが、そういったリリースエンジニアリングやアーキテクチャガバナンスを確立する投資ができないことが停滞を呼んでいます。大きなシステム保守はハードウェアやOS、ミドルウェア、パッケージなどの老朽対応にも費やされます。欧米諸国においてはビジネスプロセスの変化が激しく、要求から実装までのデプロイパイプラインの構築やリファクタリングを戦略的に実行できているように感じます。リファクタリングと同時にインフラ部分の更改を行うために、システム保守はよりスムーズに行われているように見えます。当然バージョンアップされたシステムソフトウェアの新機能をよりよく使うこともリファクタリングの視点として重要視されます。しかし、日本のシステム保守はあくまでも受け身であるために、提供ベンダーからのシステムリフレッシュの要求に対応するだけの保守になってしまいます。アプリケーションになんの価値も生まないシステムリフレッシュ投資は経営からの信頼を失わせる最大の原因です。

こうした価値を生まないシステム保守の隙間にあるなけなしの費用を食いつぶしているのが「新しいことにチャレンジしなくちゃいけないシンドローム」というのも皮肉な話です。現在問題となっているのは、PoC死が多発、PoC疲れしてPoC貧乏に陥っているIT部門やデジタルビジネスイノベーション部の現状です。なにをしたいのかもわからないままデザインシンキングだ、AI、ビッグデータだ、クラウド、マイクロサービスだと闇雲に機能試験を繰り返していても、新技術を使うというよりはセキュリティや可用性などの非機能要件を検査しているようなPoCが多くビジネス変革には一ミリも近づいていないのが現状かもしれません。PoCの実行主体が旧態依然としたIT部門で、既存のシステムの非機能要件や古臭いセキュリティアーキテクチャにどう対応するかというような視点からは新規事業は生まれることはありません。

データの価値を見出すことができるか?

DXレポートの解説で欠かせないのはAmazon Goの分析です。DXレポートではAmazon Goの実態を「明日のことではなく、今進んでいる変革だ」として捉えています。すでに実店舗では新規顧客がたくさん来店しレジなし決済を体験しており、Amazonの1,000店舗展開に驚きを見せています。決済時間の体験記では、初来店では1時間程度あった決済までの時間が2回目、3回目の来店では段階的に高速化し瞬時の決済が行われるというパーソナルごとに漸近的なアプローチを取っていることが紹介されました。機能的な面ではカメラやマイクを利用した購買品目の検知がいかに正確であるかということに注目が集まっているようです。有人レジでも5〜10%程度の万引き等の在庫ずれは起こるので、正確な決済が直接的な利益に繋がるという価値評価でした。こうした価値評価はAmazon Goの、Amazonという企業のデータ戦略の分析としては少し稚拙な分析になってしまいました。Amazonの収集しているデータの価値に目を向けると、Amazon Goが収集しているデータは来店客の商品閲覧ルート、手に取っても買わなかったデータ、オケージョンごとに変化する消費者の選択などが消費者のプロファイルをよりリッチにし、Amazonへの顧客ロイヤリティを高めています。決済ロスの問題ではなく、有人レジのアルバイトがいい加減に選択する年齢層ボタンに比較して圧倒的なコンテクストデータを取得できるAmazon Goのデータ戦略をより重要視するべきです。

ROIを事前に確定できるプロジェクト

デジタルイノベーション事例として紹介されたのは、Microsoft社内財務部門の部門ITシステム開発事例でした。6人のIT専任部員が財務部門の部門アプリケーションをAgile開発しており、Azureの改善活動にも活用されています。マイクロソフトが扱う財務アプリケーションの改善によって生み出された遺失利益の回避、国際金融における利益確保などの金銭的な効果が高らかに報告される様子を報告していました。ROIの見える化は非常に大事だと思いますが、そういうことを喧伝すると、日本ではリターンの保証のないトライアルには誰も投資しなくなります。成功したプロジェクトの投資効果を示して報告するという欧米型の報告スタイルを鵜呑みにしてはいけません。プロジェクト一つ一つのROIを事前に確定してプロジェクトが承認されているわけではなく、プロジェクト開始時にはあらゆる角度からベネフィットを検討してプロジェクトをスタートさせているのです。完成後成功したら利益ベースで報告するのが欧米風です。日本との違いは、日本の経営陣がIT投資に確実なROIの計画を求めていることです。ROIが確約されている稟議しか通せない経営陣にはイノベーションの価値は理解されないでしょう。約束された経費削減なんてどうやってもイノベーションには繋がらないからです。どんな先進的な技術も、データや技術の本質的な価値を理解しないでコスト削減としか報じないIT音痴のマスコミにも責任の一端があります。前出のAmazon Goも同様ですが、技術に伴うROIを喧伝することは厳に慎むべきだと思います。

 

2025年の崖問題は人材に集約される。

DXレポートで一番注目されたのが2025年の崖です。崖なのでそのまま進むと落下して大怪我をしてしまいます。崖は埋めることもできないし、勝手に崩れてしまうかもしれません。全体の人材構成からみた人材不足は推し隠すことはできません。さらに深刻さを増しているのは、国際的な取引を有するほとんどの企業が利用しているSAP R3の保守終了です。標準形のSAP R3であれば標準の変換ツールによってHANA S4へのマイグレーションは支援されます。しかし従来型のビジネスプロセスに対応させるために深く広くカストマイズされたR3のマイグレーションはユーザーの責任となっています。企業がIFRS対応を進めて行く中で複雑なデータモデルを設計することができなかったために採用されたパッケージですが、企業側がビジネスプロセスを変えることができないために大きなカストマイズが加えられています。ビジネスプロセスを変えることができないのであればパッケージを利用すべきではありません。しかしIFRS対応は欠かせないなかでの苦肉の対応が不良資産化を招いています。このカストマイズされたパッケージのマイグレーションは非常に多くの人材を吸い込んで行くことが予想され、人材不足に拍車をかけます。そのうえこのシステム更改は、HANAの機能を活かすわけではなく従来と同じ機能をそのまま実行できるようにされることが予想されます。それでは、大きな費用をかけても何も変化が起こらないし新しい価値は生まれない。

 

最後に、余談だけれどインメモリーデータベースのシステム価値は非常に高い。データアクセスの高速化というだけではなくこれまでのデータベーストランザクションシステムを大きく変革する可能性を持っている。トランザクション革命はインメモリーブロックチェーンによってなされると思う。

 

テレビ最終戦争 世界のメディア界でなにが起こっているか 大原道郎(著)

「最近テレビがつまらない」で始まる、旧態依然とした放送・映像業界の凋落と終末を予見させる達観に少しの悲哀を感じる。そして、ところかまわず躍進するアメリカのデジタルプラットフォーマーであるFANGの獰猛さに脅威を感じる内容となっている。

放送、通信、映像配信のプレイヤーたちの特性と将来をキーマンの生い立ちから解き明かして、映像ビジネスを解剖する。カバーされる配信プラットフォームは地上波、衛星、通信そしてインターネットであり、映像カテゴリーもニュース、ドラマ、映画、ドキュメンタリー、スポーツと幅広い。それぞれのカテゴリーごとのビジネス規模だけでは無い空気感を表現できるのは筆者の経験のなせる技だろう。報道に携わった筆者の思いが溢れ出しているのがCBS報道の原典として紹介しているエド・マローだ。天国にいるマーローに「現場によく出て見ろ、人々の話を聞け、丹念に検証し、自分の言葉で短く伝えろ」と言わせて、今の民放のくだらない報道番組に釘を刺しているところは膝を打ってしまった。

映像のビジネスは広告と視聴料のビジネスだが、そのどちらもデジタルの影響は免れない。広告ビジネスはこれまでの営業チャネルのデジタル化を促進して広告だけではなく営業部門という大きな販売管理費を切り取ろうとしている。映画館からプライム会員費というサブスクリプションモデルはモバイルインターネットの時代に映像ビジネスの大変換をもたらしている。横並びのバラエティーばかり垂れ流す民法に将来があるとは思えないし、広告ビジネスも旧態依然とした代理店モデルではデジタル時代に生き残れない。デジタルのパワーを感じる内容に読者も日本に対するある諦観を感じるかもしれない。しかし、まだ力のあるうちに立ち上がり、デジタル世代の視聴者をデータのパワーで理解できるようになれば、放送も映像もまた輝く時代がくるかもしれないのだ。

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