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奇跡の経済教室【基礎知識編】 中野剛志

 

平成日本はサッチャーレーガンに続く、ハイエク新自由主義が席巻した時代と捉え、日本のデフレ脱却の失敗を鋭く指摘する異説の書です。「小さな政府」と「自由市場」を目指した「構造改革」の中身だった財政支出の削減、消費増税行財政改革規制緩和、自由化はいずれも人為的にデフレを引き起こす政策でした。それに反して、ケインズは慢性的な需要不足によって経済活動が停滞し不要な失業が生じる不況時において、財政を出動して政府が需要を作り出すべきだと論じました。

平成を通じ日本経済はデフレに苦しんできていますが、経済成長というのは基本的にインフレを前提としています。インフレは需要過剰・供給不足なので、貨幣価値が下がっているので金よりモノがほしいという状況になります。一方で、デフレは需要不足・供給過剰なので貨幣価値が上がっているのでモノよりも金を持っていたいという人が増えてしまいます。「合成の誤謬」というのは、デフレの時には物価が下がり給与が抑えられるのだから、流動性性向が高まり貯蓄を増やすのはミクロで見たときの個人や企業として合理的なのですが、経済全体では需要がさらに減退し、マクロ経済として見た時には誤りになってしまうことです。本書は財政出動における国債と財政の動態を「信用貨幣論」によって解説しようとしています。

本書に倣ってインフレ時とデフレ時の対策の違いを比較してみます。

・インフレ対策
需要を減らすためには消費と投資を減らす。公共投資を減らし小さな政府にすることと、民間投資を抑制するために消費税などを増税、日銀が金利をあげる。供給を増やすためには生産性を向上させて同一原価での生産量を増やす、規制緩和や自由化、グローバル化によって競争を促進して生産性をより高める施策をとる。

・デフレ対策
需要を増やすためには消費と投資を増やす。財政支出を拡大し、減税を行う。規制を強化し事業を保護する。

 

本書は財政出動における国債と財政の動態を「信用貨幣論」によって解説しようとしています。この信用貨幣論についてはデヴィッド・グレーバーの名著「負債論」に詳しい。負債論については法橋和昌氏の書評もぜひ参考にしていただきたい。

https://kznrhs.hatenablog.com/entry/2019/08/22/011300

グレーバーは古代中世の貨幣の歴史を通じ、貨幣は物々交換から発生した等価交換の「貨幣商品説」ではなく、貨幣は負債と信用の印である「信用貨幣論」を展開しました。負債と信用を簡単に解説してみます。太郎が春に苺を収穫して二郎に渡し、代わりに秋に二郎がとった芋をもらうことにしました。二郎は太郎に対して負債を負い、太郎は二郎に対して信用を与えています。太郎は二郎が発行した借用書を持っているとします。そこに三郎がやってきて太郎に薪と将来の芋を交換しようと借用書を持っていくことができます。三郎は四郎に借用書を渡すことで、士郎の持っている梅を買うこともできるようになるのです。このときに二郎が秋に借用書の持ち主に対して芋を渡すことができるという信用が4人全体で共有されています。そもそも物々交換を成立させるはずの両者の欲望がぴったりと合うことはめったに起こらないため、貨幣商品説は成立しなかった、というのがグレーバーの見立てです。

ある負債を基準とした信用を流通させることで発生した貨幣なので、貨幣を創造するということは負債を発生させるということになります。その基本から銀行の役割が見えてきます。現代貨幣の大半を占めるのは現金ではなく預金です。銀行は企業や個人に例えば一千万円を貸し出した時、銀行の現預金から現金を取り出して手渡すのではなく、借り手の口座に一千万円と書きつけた時に負債、つまり貨幣が発生しているのです。これを信用創造と言います。そして、借り手が債務を返済すると預金通貨は消滅します。準備預金等の銀行自体の健全性のための規制はあるものの、銀行は貸付けのために自由に通貨を発生させることができるという存在なのです。銀行の貸出しの限界は手元の資金量ではなく借り手の返済能力にあります。銀行による国債の買い入れも同様、日本銀行による政府への信用創造であって事実上の財政ファイナンスと言ってよいのです。こうした信用貨幣論によると、政府が国債を発行して赤字財政支出を行うことは、国の借金を増やし負担を増やすと思われがちであるけれど、財政赤字はそれと同額の民間貯蓄を生むので問題がないということです。国の支出は需要を増やしデフレを脱却する一つの道だということです。また自国通貨立ての国債を発行している以上、その国家が破綻することはないということも論じています。

小さな政府、行財政改革プライマリーバランス回復、自由化、規制緩和グローバル化の推進というような平成日本の行財政方針は完全にインフレ対策のための処方箋であって、貨幣がどういうものであるかを理解していないことで、起こった未曾有の大惨事だということです。イギリス女王から尋ねられたように、これまでの経済対策をリードしてきた主流派経済学者はなにをしてきたのでしょうか。

その主流派経済学者から厳しく批判されている、現代貨幣理論MMT(Modern Monetery Theory)は本書の立場と同じく自国通貨と自国通貨建て国債を発行できる国家は破綻しないというものです。財政赤字によるインフレのリスクを考慮しない極論と片付けられがちなMMTですがデフレに苦しむ超生産性社会において、あたらしい資本主義運営の形なのかもしれません。政府の関与を大きく考えている本書では、ビットコインのような自由主義の仮想通貨についても否定的に考えています。ビットコイン金本位制と同じ「貨幣商品説」に法っているので、発行ペースと上限が制御されているので、年々希少性が高まり価格が上がりやすいのです。貨幣の価格が高くなるということはデフレを引き起こす原因となり、中央銀行のないビットコインは経済政策をとりにくいため貨幣としての役割を果たせないと考えているようです。