イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

インタンジブル・キャピタルの暴走 欲望の資本主義2021 「格差拡大 社会の深部に亀裂が走る時」

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ノーベル経済学者のスティグリッツが2001年に新装版「大転換」の序文を書いた。著者カール・ポランニーの「市場が社会から切り離されると社会は経済に支配され、社会は悪魔の石臼に挽きつぶされてしまう」という言葉から始まる2021年のNHK BS1スペシャル「欲望の資本主義」は、歴史の流れから飛び出した未必の破滅を描き出した。「労働による富」が自由経済によってグローバル化して「資本による富」へと変化した歴史が、「資本無き資本主義」という見えざる資産=インタンジブル・キャピタル(無形資産)の時代に進み、その利益独占の構造と格差社会を作り出したのだ。ポランニーは「大転換(Great Transformation)」のなかで、人間の経済は本来は社会関係の中に沈み込んでいるものであるべきで、帰属する社会から独り歩きした市場経済が世界規模に拡大して社会が破局的混乱にさらされるその様子をウィリアム・ブレイクの言葉を借りて「悪魔のひき臼」と呼んだ。

 

2004年オフィスにおける知的生産を研究するIBMの研究会で取り上げたのが「インタンジブル・アセット」だった。競争優位をもたらす見えざる資産構築法( https://amzn.to/3beNWaB )、IT投資と生産性の相関( https://amzn.to/3pQgpaI )などから考察したのは、企業価値は損益だけでは決まらないというソフトウェア時代が求める将来価値を追求する動きだった。しかし、歴史は生産性向上の欲望を悪魔の石臼に変えてしまった。「無形資産が経済を支配する( https://amzn.to/3rO4jAJ )」の著者ジョナサン・ハスケルは、知識資産、評判資産、関係資産、ブランドなどのインタンジブル・キャピタルはこれまでの工場や生産設備のような資産価値として換金できる資産ではなく「将来の稼ぐ力」をもたらすソフトウェア時代の価値だと定義した。デジタル資産は再生産コストがゼロに等しいという限界費用ゼロ社会なので結果としてソフトウェアの将来価値は毀損しないからだ。また、モノを大量に生産していた時代では発明したものを生産するのは設備や労働力を要するが、発明したインタンジブル・アセットは誰の手も借りずに金を生み利益が一人の手に渡る究極のROE経営だ。

ROE = 売上高純利益率 × 総資産回転率 × 財務レバレッジ

※売上高純利益率=当期純利益÷売上高

※総資産回転率=売上高÷総資産

※財務レバレッジ=総資産÷自己資本

ROE経営とはつまり資本を減らし利益率を高め、会社を小さくして大きな利益を得るということだ。ファブレスクラウドオープンソースディストリビューションのようにして、手間や人手のかかる実際の価値創造を外出しにして知的資産の純利益だけの会社にしたいという。利益に関わる仕事に人はいらない、理想的には人はゼロで利益だけ上げてこいということだ。株式市場の経済アナリストが強く要請するROEは人の仕事を奪い利益の再配分を妨げてきた。人間の仕事を奪うのは人工知能ではなく経済アナリストなのではないか?こいつらに苺を作らせたら地球全てがいちご畑になって、誰も生き残らない

 

番組では悪魔の石臼となったインタンジブル・キャピタルに至る経済の歴史をその転換点となったオイルショック、1974年を中心に丁寧に描き出す。設備投資を中心とした米国流の大量生産方式の産業化が進む産業革命の出鼻をくじいたのがオイルショックとそれに続くスタグフレーションだった(米国の全要素生産性の停滞と各国の長期金利の下落が始まるのが74年)。そこに登場するレーガノミクスはラッファーカーブという税に関わる理論を裏付けにした自由経済と金融経済のグローバリゼーションだった。お金をはモノを交換するためのものではなくお金を増やすために使われる、とハスケルは指摘した。この番組シリーズを通じて語られてきたのは、この自由経済の行きつく先は低賃金の輸入とあらゆるものがグローバルに相互依存する社会停滞のリスクだった。エマニュエル・トッドは次のように述べる。グローバル経済が昏睡してしまうリスクがパンデミックの分断によって露呈し、そういう意味でトランプ政権の保護主義自国主義の経済運営は正しいと。

 

橋本はフリーターと就職氷河期から始まる非正規雇用者という新しい階級の誕生を指摘しつつ「一部の人を貧困に陥れて他方で経済成長するというのは幻想だ」と語る。人足市場の政商がぬけぬけと聖域なき構造改革だなどと派遣労働の規制緩和を進めた結果がこれだ。実は株式市場におけるROEなんていいう圧力を強めて、日本をアジアの低賃金と競争させようとしているのはアメリカの資本主義の強欲なのではないか、と思う。英エコノミスト誌の元編集長のビル・エモット氏は2020年末の日経ビジネスのブログに「失敗の背景はよく知られる。日本では従業員の40%近くが非正規、短期、パートタイムの契約で働く。企業は正社員と非正規社員の間で仕事を柔軟に調整し、賃金の引き上げを避けた。昇給もとてもささやかな範囲に収まってきた。その間、日本の最低賃金経済協力開発機構OECD)加盟国の中で最低水準になった。」と書いた。

 

アルメニア人を両親に持つ経済学者のダロン・アシモグルは一つの処方箋を見せる。インタンジブル・キャピタルの独占の罠は利益が労働者の手に渡らない=再配分できないということであり、自由経済が一つの限界に達したことを意味している。マイクロソフトのグレン・ワイルも富の集中は社会の成長を妨げると主張し、Googleに対する反トラスト法提訴は巨大企業に振る舞いを正させると言った。一方で、ダロンは経済成長が多くの国で人々を貧困から救ってきたのだと経済成長のスピードを低下させてはいけないと主張する。経済成長を続けながら社会や環境をよりよくするためにはどうするか?それは、かつて法律や制度だったものだが、Civil SocietyのSocial Norm(社会規範)へと変化しなくてはならないという。社会規範とは、例えば政府が脱炭素の規制をするよりも、人々が自ら電気自動車やFCVを好んで選択したり二酸化炭素排出量の少ない起業で働きたいと思うことだ。しかし、そのSocial Normはかつて日本にあった村社会の重苦しい不文律や慣習でもある。トッドは経済成長のメトリックとなる記号に変化を求めた。共同体への帰属化する新しい価値の記号とはなんだろうか。グローバル標準などという押し付けられた株式市場の成績のような記号ではなく、自ら選んだ各地方固有の資本主義のあり方を探る時代になるべきだ。

 

番組は最後にケインズの「平和の経済的帰結」を取り上げる。ケインズはこのなかで、ドイツに対する第一次世界短戦後の多額すぎる経済制裁は次の戦争を呼ぶと予言した。現実に、このような経済理論はドイツ社会を押しつぶし世界を破滅させるファシズムに進んでしまったのだ。ケインズの提言は現代になお重い。「資源と勇気と理想主義を協働させて文明の破壊を防がなくてはならない」のだ。