イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

インターネットが邪悪で強欲な意思に支配された【ケンブリッジアナリティカ事件】

 インターネットが邪悪で強欲な意思に支配される

本書はケンブリッジアナリティカ事件の中心にいた研究者であり技術者の告発であり、その裏側の邪悪な意思のストーリーです。パーソナルプロファイリングの5因子やフィルターバブル、コミュニティクラスター、ユーザーリテンションアルゴリズムフェイクニュースなどこれまでに暴かれた技術的な要素がどのように邪悪な意思によって操られてきたのか、本人の口から語られます。アシモフの「ファウンデーション」で描かれたような社会と精神世界のデジタルツイン空間を作ろうという技術的な興味は、IBMでもピープルプロキシーやパーソナルプラファイルのセンチメントリアクション、SNA(Social Netowrk Analytics)のエージェントベースシミュレーションなど、基礎的な技術が研究開発されてきました。スティーブ・バノンはその強力なネットワークを用いて社会を支配し過激思想によって社会を変化させ、ケンブリッジアナリティカはそこから巨万と富を得たのです。フェースブックは自らの広告収入メトリクスであるユーザーリテンションを大幅に上げ、偏った富を分け合いました。ブレグジットはマイクロターゲッティングの矛盾したメッセージによる実験として、そしてトランプ選挙はロシアの(政治的というよりは政商的な)介入によって成し遂げられました。どちらの結果も不正な操作によるドーピング違反なのだけれど、スポーツのような公正さのない政治の世界ではその結果が覆ることはなく社会は分断と不安に陥れられたまま、パーマネントな変化です。また、インターネットジャイアントと言われている巨大プラットフォームは資本市場に君臨し、富の偏在とそれによる自由主義・資本主義経済の破壊を進めています。

誰もが騙されているのに、正気に戻る者はいない。次に人類が見るのはディストピアに違いない。

 

クリストファー・ワイリーは技術者らしく、本書の終わりに以下の4つの提言を述べています。

  1. インターネット版建築基準法
    インターネット上に構築されるシステムが住民の安全を守る安全なアーキテクチャであることを監督する安全基準を設ける。ユーザーの同意があれば何をしてもよいというような不適切な同意メカニズムに「効果の相応性」という枠組みを導入する。
  2. ソフトウェアエンジニアの倫理規範
    医師や弁護士は常に患者や依頼者の利益を第一に考えるのと同じように、ソフトウェアエンジニアはソフトウェアの開発元ではなく取り扱うコンシューマー一人一人の権利に忠実であるべきだ。医師免許、司法試験、一級建築士免許とおなじように規範から外れたものを除名できる制度と、規範を守る範囲で会社からの報復を恐れることのない保護が必要だ。
  3. インターネット公益事業
    インターネット上のプレゼンスがあまりに大きくなった時、その事業は公益事業としての規制を受けなければいけない。しかし、スケールを理由に電力を罰することはないのだから同様にスケールを理由に巨大プラットフォームを分割・解体してはならない。その代わり、デジタル共通資本(コモンズ)、デジタル消費者の権利を守る中心的な役割を果たすべきだ。
  4. デジタルコモンズの受託者責任(スチュワードシップ)
    「デジタル監督庁」の創設によりプラットフォーム事業者を監督・管理する。個人データの価値を正当に評価して独占禁止法を実効的にする。

特に建築基準法と倫理規範の免許制度には純粋な技術者として、アーキテクチャガバナンスへの期待が隠されています。しかし、コンピュータアーキテクチャやソフトウェアアーキテクチャ、サービスシステムアーキテクチャなど抽象化された構造と判断など理解できる技術者は少ないのが現実です(自らアーキテクトと名乗っているものでも比率は変わらない)。そもそもインターネット上のas a Serviceのサービスとは何か、サービスプラットフォームとは何かすら理解できていないのですから。そんな中で正義の認定技術者としてのアーキテクトの出現は非常に難しいのではなかろうかと思います。また技術者としてのまっとうなアーキテクト判断が、システムライフ全体で金儲けと対立した時に尊重されたことなど今までかつてなかったと断言できます(私が前職を辞した理由もこれだ)。工学部建築工学科とおなじようにサービス学部アーキテクチャ学科が社会一般に認められ全国立大学に設置されるくらいにならないと建築基準法の制定はできないと思われます。

ケンブリッジアナリティカ事件でフェースブックは利用されたプラットフォームのような顔をしているが被害者なんかではありません。シリコンバレーの強欲はロンドンの小悪党にいいように使われたのだけれど、私はインターネットが邪悪なわけではないと信じていたいと思います。インターネットが不均一なスケールフリー性を維持しているのは、ネットワークの高い持続可能性を分散システムとして設計に組み込まれているからです。しかし、インターネットを文字通りオーバーレイしているプラットフォーム事業者は不均一性を掻乱し自らに都合の良い中心性を設計してバラバシの優先的選択(ネットワーク効果)による独占と富の集中を実現してしまいました。インターネットを不均一なスケール不変性に立ち戻らせるためには、商用利用でゆがめられた設計思想の支柱:バックボーンを叩きなおす、文字通り構造部材を叩いて直す現代の棟梁が必要なのだと思います。