イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

欲望の資本主義4 スティグリッツ×ファーガソン 不確実性への挑戦: コロナ危機の本質

ファーガソン歴史学者としてパンデミック歴史的評価を「これまで国家が準備し十分だと思われていた対策が実は全く効果がなく最悪の対応になった。また、その理由は述べられていない。」と口にする。都市のシャットダウンはさらに経済を停滞させ、自らシャットダウンした経済を再び刺激することはできないと断ずる。パンデミックの経済対策に対して「小切手を配ってもお金を強制的に使わせることはできない」その結果として貯蓄性向が高まり長期の経済停滞を予想する。日本が長らく苦しんだ成長無きデフレだ。デフレの病魔は国家の深層に入り込み人々の心理に暗くしつこい影を落とす。それは様々な活動において創造性や未来への挑戦よりもコストパフォーマンスだけに価値を置く、現在の日本の姿だ。また、グローバルの大企業はコストカットのためにグローバル分業を推し進めてきたが、結果として国内労働者は発展途上国の低賃金労働者との競争を強いられ、国内に超低賃金が輸入されてきた。そのようなグローバル資本主義の常態に起こったパンデミックで、社会に供給される緊急の失業給付金は低賃金の労働に比較した時に、労働意欲を失わせ失業率をより高くなる方向に社会を誘導してしまう。ファーガソンの描く経済的な未来は、暗くしつこいデフレの悪夢と低賃金に喘ぐ大失業時代の到来だ。さらに国際政治について、中国の経済発展の限界の予兆、そして最終的には米中の緊張が中国による台湾攻撃に端を発した戦争に発展すると未来を予想する。パンデミックを目の当たりにしたショックなのかとてもペシミスティックなファーガソンだが、一方でGAFAの作るサイバー空間での経済活動に対して比較的楽観的に構え、Zoomなどの非接触の空間を受け入れているように見えるのが対照的だ。
スティグリッツの現在の経済への見方も悲観的だ。2017年以来米国は低金利財政出動で経済を刺激し続けてきたが、それでもたったの2%しか経済成長を果たしていない(日本は2%目標すら達成できていない)。そこにやってきたパンデミックは破滅的な出来事だ。インタビュー時点では株式市場が堅調な米国だが、スティグリッツは二つの視点でその歪みを指摘している。一つは、失速した経済に対して当局は低金利の金融緩和政策で臨んでいるために、債券市場にから株式市場にお金が流れ市場の価値に比較して株価が膨れ上がっているだけだという指摘だ。つまり土地や球根などの投機対象すら存在していない虚空のバブルだ。もう一つは給付金だ。経済刺激策として投下されている給付金だが市民はそれを消費に回すことはなくかつてないほどの貯蓄性向を示している。しかし銀行に預けても利息もないために、株式投資にに流れているというのだ。これも経済の実態を表したものではなく、いつかは破綻すると予測する。
このようにお金の流れが澱み滞ってしまう病魔への処方箋はあるのだろうか。スティグリッツはヒントは宇沢弘文先生の「社会的共通資本」にあると論じる。資本市場の大企業は環境や社会インフラ、教育、医療などの社会的共通資本のフリーライダーで応分の負担をしていないように思われる。グローバル企業に国際的な枠組みで炭素税を段階的に導入するなどの仕組みを考えていく必要があると指摘している。また、金融緩和によって銀行にお金を貸し付けるよりも政府が公共事業を行いインフラ投資をしたほうが社会資本への還元が期待できると言っている。資本主義の利潤の役割は権力を分かち合うための分業だった。それなのに分業は大企業の強欲な利益追求のために使われて、国際的な搾取と貧困の輸入という事態を招いている。こうした低賃金は能力の差ということでは説明できないほどの格差を生じさせ、不平等をもたらしている。スティグリッツは、かつてフランクリン・ルーズベルトが法定最低賃金を定めたことで南部にいた奴隷労働者を解放したり、北欧福祉国家の高賃金労働者がクリエイティブなイノベーションを引き起こしてきたりという事例を引きながら、社会の発展のためには適切な賃金レンジが存在しているのだと示唆しているのだ。
宇沢先生は「自動車の社会的費用」のなかで自動車は安全や環境に対してより多くの負担をするべきだと言いました。自動車の便益と費用のバランスの中に安全や環境への配慮が必要なのだ。まあ、日本では重量税や自動車税など通常商品に比較して負担は大きいものだけれどこれからの自動運転車の導入に際して安全な社会インフラとしてどのような負担が望ましいのか、考えさせられる。
スティグリッツは相変わらずトランプ政権に対し厳しい態度を取っているが米巨大IT企業に対しても同じように厳しい。GAFA、主としてFacebookは自らの利益のためにフェイクニュースを放置してきたと指弾する(実はTwitterもだが)。報道表現の自由は権利であるけれど、満員の劇場で面白半分に「火事だ」と叫ぶ権利は誰にもない。また一時期批判の的にさらされたLibra仮想通貨に対しても否定的な意見を述べる。しかし、スティグリッツの仮想通貨への理解は浅く、暗号は秘密通信なだけではなく信頼の証明に用いられていることがわかっていないようだ。自らもそう言っているようにブロックチェーンや暗号通貨に対する理解不足のスキを中国が突いている。

シリーズを監修してきた丸山はあとがきで「経済もパンデミックも数字やグラフによって表されている」と述べている。われわれの生きるすべである経済や生命への脅威であるパンデミックも株価、GDP、感染者数というような数字になって処理されている。本当は豊かさや健やかさというのはもっと人間的な実感を伴ったものではないのか、という還元主義的な社会通念に対する厳しい批判だ。パンデミックであらわになった東京一極集中のリスクは、実はパンデミック以前から地方経済に巣食っていた吸血鬼(ストロー現象ともいう)だったのだ。資本主義の闇は元からそこにあったのだ。