イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

経済は文化と社会規範の相互作用に規定される

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丸山俊一プロデューサーによるNHK BSスペシャル欲望の資本主義 特別編 「コロナ2度目の春 霧の中のK字回復」視聴感想文

「経済成長の勝ち組とポスト資本主義という矛盾した二つの欲望」

ハーバード大レベッカヘンダーソンはワクチンで回復する先進諸国と発展途上国、ステイホームするホワイトカラーと失業する労働者というようにK字に格差が拡大していると指摘する。このストーリーの背景には、二つの矛盾した憧れが同居してる。一つはシュンペータの定義するテクノロジーイノベーションによって経済の新陳代謝を高め、ゾンビ企業を退場させて社会全体が経済発展していかなくてはならないという社会の焦り。デジタル技術のスケールフリーな発展を求めるインターネットジャイアントへの憧憬だ。もう一つは、現代資本主義が限界まで育った後に老化して崩壊し、再構築されようとしていく中で、宇沢弘文の社会的共通資本というリベラルな経済理論に基づいて人の心を取り戻したいというノスタルジックな気持ちだ。

番組はヴェブレンを引き合いに、これまでの経済モデルは精緻な数学のモデルの合理的経済人(ホモエコノミクス)という心のない存在が活動するという現実にはありえないモデル(注:これは数学が悪いのではなく、経済学者が数学の使い方を誤っただけだ)だと示唆する。しかし、現在の頑なな経済人が心への関心を持つことがあるのか激しく疑問で、社会における共通財と均衡する経済というのはユートピアに見える。しかし、レベッカヘンダーソンパンデミックにおいて医療や物流などのエッセンシャルワーカーの必要性を際立たせ、このことは、将来の気候変動の前哨戦だと警鐘を鳴らす。そして、社会全体の価値観の変化を取り入れたアーキテクチュアル・イノベーションを進めるべきだという。急激に変化する環境で利己的な利益だけを追求するのではなく、本当に必要な仕事をする〜そんな競争のない安定した社会を提案する。

アーキテクチャについては、先日のブログにこう書いた。「抽象化とはある機能が果たしている動作やパラメーターを還元主義的に再構築したものである。

https://sociotechnical.hatenablog.com/entry/2020/12/11/141352


「投資家の身勝手な経済成長神話は異常発達した癌細胞だ」

冷酷な経済学者は政府支援によって生きながらえている企業の中には、もはや経済的に意味を持たないゾンビ企業が存在していて、社会経済のデッドウェイトロスになっていると指摘する。そうなるといつも引き合いに出される北欧モデルのフィンランドだが、経済市場でゾンビ企業を退場させる代わりに労働市場で失業者対策を充実させるフレキシキュリティ政策を施行し注目を浴びている。日本の小幡も同様に企業を潰して人を守れと耳触りの良いことを言う。しかし、一体誰が企業の死に体を判断するのか。日米半導体競争で米国の圧力に屈した半導体産業の中で(それまで利益を独占してきた半導体メーカーは本当に死んでしまったのだけれど)燃え残りのように死に体に見えた半導体製造装置産業はいつか世界の半導体製造のマザーマシンとなっていった。

それでも日本の半導体産業は衰退圧力が強すぎて半導体製造装置においても最先端の座をオランダに譲ってしまう。それさえ失ったら日本の産業優位なんて微塵も無くなってしまうのだけれど

中小企業を中心とした日本企業は大きく成長しなくともエッセンシャルな産業を長く維持してきたのだ。株式投資家によって無慈悲にリターンを求められ、利益水準を達成できないからといってゾンビ企業になるわけではない。こういった企業を潰すのが目的であるなら、社会の新陳代謝なんていう戯言は悪性腫瘍が暴走した癌細胞だ。

「パーセプションによるミューテーション」

名著「アダプティブ・マーケッツ(適応的市場)」を書いたアンドリュー・W・ルー MIT教授は、経済も痛みを感じることで自然に変異して進化を遂げ、痛みは何が必要か教えてくれると説く。コロナで取り残され封鎖が長引く途上国は、結局世界を小さくしてこれまで辺境を求めて拡大してきたグローバル資本主義の終焉を早めるのか。日本の経済学者小幡は、経済状況はバブル終焉であって長期的にも経済の発展そのものがバブルで、バブルは弾けるものだと皮肉めいたことをいう。ゲームストップ株で個人投資家から散々に叩かれたロビンフッドやアルケゴス破綻など、ヘッジファンドは時代の変化を鋭敏に捉える炭鉱のカナリアガラパゴス諸島の生き物を見るようだとルー博士は言う。ロビンフッド事件は株価が経済だけではなく主張によって動かされるという時代の流れはESG投資に向かう機関投資家の先駆けとなるのだろうか。格差を生む利益追求だけではない複眼的な社会均衡的な指標をいかに知覚することができるか。その知覚の刺激は経済の細胞に混入する異物となって、変異的進化を遂げることになる。

中国の経済全体を緻密に正確に把握し調整しようとするデジタル貨幣技術や人々の欲望を抑え込む制御も変異一つではないか。MITの経済学者ダロン・アセモグルは過去の先進国における対中国の近代化論的な姿勢は、結局民主化を誘発できず誤りだったと指摘する。しかし、米国民主主義はトランプによる議会占拠事件によって棄損したままでは民主化そのものが胡散臭い。いづれにせよ日米貿易摩擦と同じように中国も近い将来行き詰まって、次の変異の痛みを感じることになるのだろう。