イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

行き過ぎた資本主義、劣化した民主主義、暴走する社会主義というスケールの均衡点を「社会規範の倫理的行動」に求める純粋さ

行き過ぎた資本主義、劣化した民主主義、暴走する社会主義というスケールの均衡点を「社会規範の倫理的行動」に求める純粋さ

読書感想文

・欲望の資本主義5 格差拡大 社会の深部に亀裂が走る時
・無形資産が経済を支配する: 資本のない資本主義の正体

 

はじめに

コンピューターにはクロック周波数という宿命的なパラメーターがある。景気循環にも周期がありその周波数が早まっているか、あるいは従来の長い周期に高い周波数が重なり合っているらしい。経済周期のスペクトル解析に普通のフーリエ変換で通用するのだろうか。ロバート・シラーは「不道徳な見えざる手」で市場を支配しているのは「語り口:ナラティブ」という情報であるという。情報がインターネットで増幅拡散する伝わり方の変化とそれを活用する人工知能技術が運命を決める。丸山俊一さんは、アダム・スミスの経済理論で前提とした製造を中心とした分業による「神の手」は、デジタルによって変質していると指摘した。超高精細なデジタルデータがインターネットによって大量に集積され、それを強大なコンピューターパワーで分析する知力を得たら、神の手を超えるデジタルの最適化が引き起こされる。経済は統計モデルからネットワーク科学へと進化している。
法橋さんが書いている同書の解説ブログはこちら→とてもわかりやすいです。

2021 Vol. 9:『欲望の資本主義5 – 格差拡大 社会の深部に亀裂が走る時 -』 - TechnologyとIntelligenceに憧れて

 

ジョナサン・ハスケル「無形資産が経済を支配する」

現代の価値を生み出しているソフトウェアやサービスとは、企業業績のBSやPLに現れにくく無形資産=見えざる資産といわれる。無形資産は一度クリティカルマスを超えて成長すると限界費用(新しいサービス契約を獲得した時にかかる費用)がゼロになり指数級数的発展を期待させる。サービス時代の無形資産は従来のソフトウェア・アセットとは異なりソフトウェアそのものを販売することではなくソフトウェアによる便益だけを販売する。ソフトウェアそのものに企業の知財価値を持たせることはなく、サービスシステムにその価値を持たせている。ゆえに、多くの無形資産企業はソフトウェアを知財というよりは、協働(コラボレーション)する表現としてのコードとして捉えオープンソース戦略をとっている。こうした行動は多くのスピルオーバーをもたらして業界全体に影響を与え企業の存在を確固たるものにしている。ハスケルGoogle Chromeの独占の様子を描いているが、技術的な側面としてHTML5のプログラミングモデルやQUIC (RFC9000)というようなインターネットの安全性に関わる規格などを提供し、Googleの広告ビジネスを支える業界全体にとって必須の技術を提供している。

 

オートメーションの軽すぎる税負担(ダロン・アセモグル)

オートメーション(機械投資)への課税は投資額の5%、労働力に関して労使が支払う税額は25%である。機械への労働力の移行が進み、労働生産性は高くなり投下資本に対する税額は下がるのでROEを求める経営者はオートメーション投資はやめられない。オートメーションに課税したら技術が停滞して生産性が下り、今のように課税を低く抑えていたら格差が広がっていく。機械力を活かせる人材であるかどうかが格差の決定要因になってしまう。非人間的な工場作業がすべての人生に素晴らしいわけではないのだけれど、逃れられない社会格差のなかでセーフティネットをどうするか議論が必要だ。カール・ポランニーが言うように、市場の神の手のように自然と自律分散されて最適化されていると信じているものの多くは国家の規制や政策に依存している。結果「欲望は善である」と言い放った新自由主義も多くの規制や税制の隙間を掠め取るレントシーカーが社会負担にただ乗りする荒廃を招いた。社会規範とはなにか、企業の行動に問いたくなる。

 

社会主義と資本主義

繰り返しとりあげられる宇沢弘文の均衡の概念において、社会経済は社会主義的行動と資本主義的な行動の間の均衡点を探るべきで、政府の役割や政治への期待を織り込んでいる。「社会主義市場経済」というナラティブを語る中国が統制強化に回帰している理由は指導者の政治的野心だけなのだろうか。経済成長は中国を民主化しないことはトランプ以後の世界が学んだことだ。香港弾圧やウィグルジェノサイドのような内政は国際経済と無縁の問題ではない。一方の民主主義も劣化している。トランプ前大統領は民主主義国家として政党間で妥協して協力するアメリカの政治規範を破壊し、Brexitのような国民投票も議会民主主義の少数意見を封殺するものだ。また、誰もが目を背けているのは、基軸通貨国家の財政は破綻するのかという部分をマスクされたナラティブだ。本書を通じて感じるのは、行き過ぎた資本主義、劣化した民主主義、そして暴走する社会主義というスケールの均衡点を「社会規範の倫理的行動」に求める純粋さをどう消化したらよいのか、ということではないだろうか。

 

欧州から見た日本

エマニュエル・トッドクーリエジャポンの特集で「コロナの行動規制においてフランス人は規制を守らず家族や恋人と楽しく過ごしたいと考えている。ドイツや日本のように社会規範の厳しい国では行動規制を皆が守っている。フランスでは高齢者が多く亡くなっている一方で出生率は下がっていないが、日本やドイツでは高齢者が生き延びて出生率はみじめなほど低い。」と言った。日本の本質的な課題は人口問題である。さらに課題は階級差別ではなく性差別であり、出生率を高めるためには女性の地位を確保して子育てがペナルティにならない社会を作ることが必要だ。また、失われた20年の間リストラとコストダウンだけに明け暮れた日本人の過剰なコスト意識が家庭や子供を持つことを抑制している。

米国経済はオバマ以降トランプ時代を通じて所得の中央値が17%も向上している。平均値ではなく中央値なので格差拡大の影響というよりは貧困脱出という意味が強い。トランプは中国からの貧困の輸入を止めようとしていたが、トランプ以前からの傾向だ。アメリカが貧困から脱している合理的な理由は見つからない。経済社会のコントロールには社会的合意が必要で、一つの集団的信仰だという。トッドは欧州がイスラム嫌悪などの暴力性が社会的な結束の基礎になってしまうことを危惧している。日本は戦後宗教に関する憲法的なタブーの結果お金しか信じない無宗教人と、一方で暴力性に訴え地下鉄にサリンを撒くような集団が生まれてしまった。集団的信仰という存在が社会規範を再構築するきっかけになるだろうか。

(まだ続きます↓)

 

アンドリュー・W・ロー「適応的市場仮説」

痛みの恩恵(gift of pain)は痛みに適応した進化をさす。経済活動は、従来の合理的な市場人という単純化されたモデルではなく、人間の理性や感情、国家の規制や社会の規範に適応して動くのだという。コロナ後の経済回復を予想しつつ「期待値」が市場を動かすと語ります。Gamestop株の騒動では市場参加者は利益ではない規範を求めて行動しました。これは群衆の叡智なのか暴徒の狂気なのか判然としない。インターネットの投資アプリであるRobinhoodはインターネットのネットワークスケールによる増幅を見せました。そこにはインフォデミックのリスクはあります。同質な意見しかないエコーチャンバーは群衆の叡智などではなく明らかに暴徒の狂気になりうる。

適応的社会仮説を社会ダーウィニズムと捉えると、不適合を自責の失敗とする能力主義マイケル・サンデルのが語るような社会に植え付けられた格差、適者生存のなんでもありの市場の無秩序というリスクが指摘されている。そこには社会規範や倫理的行動が求められるとする、丸山さんの人間的な考察が光る。

 

バーチャルという虚無

個人の行動や精神の動きまでをデジタルデータで把握し最適化するデジタル空間のバーチャル経済に丸山俊一さんはデジタル・アパジー(虚無感)を感じるという。仮想化と訳されることの多い「バーチャル」は本来「対象物を実体化する」という意味があり、ものごとを還元主義的に再構成して実体化することを言う(だからパラメタライズされたデジタルのデータセットにバーチャルという呼称がつく)。再構築された実体に還元されない取り残された温度を感じられないから虚無感を感じる、これまでの経済理論よりもずっと緻密に実体を再現できるようになったはずなのに。帳簿程度のデータでも手書きなら実体であって、より緻密なデータセットが虚無に感じるのは、ロボットの不気味の谷と同じ技術の未熟さか。