イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

自分を失わずに生きるために

  

・14歳の自己紹介は難しい

14歳なのだから会社組織や職務経歴のような社会における相対的、経験的なものを持ち出すことはできません。私とはなんなのか、確固たる自己紹介のできる大人は稀ですし、よしんばその自己紹介があったとして聞いている相手は、はたして私を正しく理解してくれるかどうか疑問が湧いてきます。あるいは、その相対性に浮かんだ空間によって深く自分を見つめることができるのでしょうか。最近、若い人たちと話していると非常に強くコストパフォーマンスを求めていて最短経路で結果を得たい思いが強いと感じることがあります。自分が何者であるかよりも、誰からも批判されずに最も楽をして利益を得ることを優先している存在が、どのような自己紹介ができるのか考えてしまいます。

 

・指を折って数を数える

人間は指を折って数を数えたり、紙に計算式を書くことで難しい計算を成し遂げたりします。これは自己という存在があってその自己を認識すること(エーリッヒ・フロム)によって、自己を利用した計算を可能にしています。技術的には折られた指を目で見て認識する認知機能や紙と鉛筆を使った外部記憶ということですが、自己を認識するという機能のなかには多分に身体性を含んでいるということを示しています。私たちはある自然な身体の動作の中で計算をし、判断をする知恵=技術が与えられています。

 

・技術への自己嫌悪

人は蒸気機関、自動車、飛行機、コンピューター、インターネットと次々と機械を発明してきました。本書の中ではその時代時代にその機械に心を奪われてはいけないと説く先人たちの言葉が並びます。著者も繰り返しTwitterFacebookにあふれる同調圧力に右往左往しているのは、軽薄な自己を持たぬ憐れな人々であり、技術から自分を取り戻してSNS同調圧力から逃れるべきだといいます。人はまるで自己嫌悪のように人が作り出した機械には流されるなと繰り返してきたのだと納得します。人類の癌細胞であるかのように描かれる技術者である私は、アンチテクノロジー同調圧力〜「GAFAや技術者って隠れてひどいことをしているらしいぜ」「だれがそんなこと言ってるのさ」「みんなだよ」〜なんじゃないのかしら、と思ってしまいます。FacebookはとうとうGAFAって名前を捨ててMETAさんになっちゃいましたけど。

 

老荘思想

老荘思想は、自分とは無為自然で融通無碍な存在であるのが良いと教えてくれます。本書中盤で紹介される老子の「自分」を主張しないからこそ「自分」を持ち続けることができる、という言葉は深く共感することができます。これは一見「利口ぶって自分を主張」して謙虚な気持ちがないことのように見えますが、自分に対して「こうありたい」という主張する自分の中のデマンディングな自分のことです。人を押しのけたり傍若無人な振る舞いをするということではなく、謙虚に寡黙に自ら求めることのために努力を重ね、不断の研鑽によって自らを奮い立たせていくそんな気持ちが自分を苦しめます。自分に乗っかった自分の理想像に押しつぶされそうになって、その自分におさらばした時に「もう自分のために努力をしなくても良い」と心がとても軽くなるのです。そんなことを数年前にブログにかきました。

https://sociotechnical.hatenablog.com/entry/2017/06/16/153403