イノベーションの風に吹かれて

山下技術開発事務所 (YAMASHITA Technology & Engineering Office, LLC)

自由な研究テーマを自由な時間に行うことの大切さ

うちの会社では技術者が自由に研究活動を自律的に行うことを推奨しています。テクニカル・コミュニティといいテクノロジーカンパニーとしてよい文化だと思います。しかし、社員が時間を使っているのだからということなどで管理強化を訴える人がいます。

 

〜以降は私の個人的な意見です〜 

「テクニカル・コミュニティは責任ある個人が自律的に研究活動を行うもので、誰かから与えられた活動の評価指標のようなものは不要です。」

 

グローバルの研究開発への貢献やビジネスの成果、対外的な資格認定や論文評価など、組織的に求めたくなる指標はありますが、テクニカルコミュニティにとってそういった成果は讃えこそすれ形式的な管理評価は不要です。「自由な研究テーマを自由な時間に行う」ための時間的なゆとりが技術者の創造性を育み、反対に指標さえ満足すれば良いという行動から脱することができると思うからです。
テクニカル・コミュニティにおいて最も重要なことは参加者の自由な研究意欲です。しかし評価が前提となった研究活動では期待された効果があるものしか選択できません。失敗と無駄を恐れ、評価に繋がらないテーマには挑戦しないので、自然と全体が同質化してしまいます。そのように秘密結社化すると、新規参入のハードルが高くなり多くの活動が多様性を失いダイバーシティインクルージョンを失ってしまいます。結果として組織は不確実性に対応できず、不連続な成長を手に入れられません。

現実的にコミュニティ活動をリードしていく場面でも、評価基準を明確にしようとすると、評価基準が決まるまで動けないので活性化の時機を失ってしまうし、そもそも管理そのものにかかるコストが高く、効果もありません。

デイルドーテンは「試してみることに失敗はない」と名言を残しましたが、研究活動において結果が失敗に見えようとも、あらゆる研究成果が尊いと思います。そういう意味では、例えば人工知能ロボットによる東大入試から撤退した著名な女性研究者をこぞって研究の失敗だと叩くのは間違いだと思いますし、さらにダイバーシティを失った行動です。私はこれからも、失敗に学び果敢に新しい領域に挑戦する技術者や研究者の自由な活動の場を維持したいと思います。

 

<さらに個人的な蛇足>
TIM O'Reillyは近著「WTF経済」で「単純で分散化したシステムは中央集権化した複雑なシステムよりも新しい可能性の生成がうまくいく。それはより素早く進化できるからだ。」と述べました。同様に知識が分散化して存在する自律的な組織とそれをゆるやかに協調するコミュニティがより早い進化をもたらすものだと考えています。シャロン・ダロッツ・パークスの名著「リーダーシップは教えられる」においても現代のリーダーシップはカリスマ的なリーダーによる中央集権管理ではなく、チームの熱量を調整する役割である、と数値管理を厳しく否定しています。また、コミュニティは最近流行りのホラクラシー組織とも違います。コミュニティでは基本的な価値観をコンスティテューションにはするものの、権限やそれに対応した明確な役割は無いからです。つまり、ありきたりな管理強化に頼るのは、複雑化する時代においてリーダーシップを論理的に設計できないことの裏返しなのです。ホスト集中のシステムばかり設計していないで、分散システムを協調的に動かす仕組みでも設計したらいいのにね。