イノベーションの風に吹かれて

外資系ITエンジニアの筆者が日々感じたことや将来のことなど書き連ねます。

かつて仕事の選択は大まかだった

DENSOの成迫さんに誘われて「AI/アナリティクス/IoT関連就活支援白熱塾」に参加することになったのですが、そこでは話さないだろうことを書いておきたくなりました。

 

かつて私たちの進路の選択は単純で職業の選択は大まかでした。私の選択はエンジニアでしたが、機械でも制御でも情報でも生きていければなんでもよかった。今の若い人たちはAIとかアナリティクスとか細分化したものを選択しなくちゃいけなくて、領域が狭くて大変そうだと思います。やってきたことを活かしたい情熱もあるでしょうし、失敗したくないという打算もあるのでしょうが、実際のビジネスにつながる科学教育みたいな知識偏重な教育も影響しているのでしょう。本当は、メタスキルっていうらしいですけど、科学や数学とか語学とかの基礎を学んでおくことで、新しい知識を身につける方法を学ぶようなことが大事なんだと思います。

 就活も選択肢は限られていた。就職先企業も今のようにWEBで公開されていてだれでもどこにでもエントリーシートを突っ込むことができるという自由な選択は無くて、企業が学生課においてくれた求人票か教授の推薦から選択していました。学歴フィルター+教授推薦なんて不公平、と思うかもしれないですが、そこまでの学究生活で蓄積されたものが学歴や推薦に繋がるので、ある意味で公平だと思ってました。今の就活はこれまでの努力の蓄積よりも一発芸みたいなところがあって、大学終わってからもう一回全員リセットして競争始めだなんて悲しすぎますね。演じてやるんでしょうけど、一発芸が得意な人ばかりじゃないですから。

 

もう少し自分の話をします。私はエンジニア志望で今の会社に入りました。研究開発部門を受けて、その入社試験で「SEの仕事はどうですか?」という定型質問がありましたが、当時の私にはSEはコンピューターの設置調整をする作業員にしか思えず、「営業部門の採用通知は要りません」と生意気を言って研究開発部門からの採用通知をいただきました。嬉しかったです。そして入社しますが、二ヶ月後に営業部門のSEに転属命令です。青天の霹靂、奈落の底です。そうして、毎日カタログをバインダーに綴じて全国に配送するという作業を黙々と行う仕事についたのでした。2年、3年と経つうちに一緒に開発から営業に配転になった仲間たちが続々と開発に帰任していく中、私はどうしても戻してもらえず毎日やめたいと思いながら働き続けていました*。

入社して8年目に悔しく辛い選択でしたが、とうとう私は自己実現を諦めます。もはや私に開発エンジニアの職はありません。こうして自分に乗っかっていた自分という重しがなくなると、もはや自分のあるべき姿はありません。エンジニア像も自分がこだわり続けてきた開発エンジニアだけではないシステムエンジニアの仕事が見えてきました。会社もオープンシステムとかサービスへの転換とか大変な時でしたので猛烈に仕事しましたけど、自分のやりたいこととか諦めちゃったやつはそういう環境の変化に強いです。職業:何かのエンジニア、職種:そのときなりにひつようなもの、です。

 

そうしてSEとなった私なので仕事をする上で自分から湧き出すモチベーションとかありませんし、必要ありません。一心にプロフェッショナルなエンジニアの仕事をするだけです。ただ、一つ本当に必要だと思うことは自分が無知だということを知り、常に学べる領域があることを大事にしてきたということです。これからも好奇心というか、知識への欲求だったりするものを大事にしていきたいと思います。成迫さんは自分の開発メンバーにAIやIoT、アナリティクスの経験者を招きたいということでこの会を開催するのだろうけれど、私はそこでどんな話をするのだろうか。狭い選択肢で仕事を選ぶと企業では結構辛い思いをすることがあるんだよ。

(*昔、毎日やめてやると思いながら仕事していたので、そのころは怖いもの無しです。そのころRDBが本格的に導入されてきたところでしたが、先輩SEたちのVSAMファイルみたいな設計を痛烈に批判して「データベースはプログラマーのメモ帳じゃねーんだよ、ちゃんと設計もできない奴がアプリ知識だのちゃんちゃらおかしい」とか全体会議で発言してぶっ殺されそうになったりしてました。)