イノベーションの風に吹かれて

Katsushi Yamashita, IBM Distinguished Engineer, Member of TEC-J - IBM Academy of Technology

自動車の社会的負担

トランプ政権に目の敵にされてる日本の自動車メーカー擁護したい日本人魂はわかるけど。

「売れる車作って持ってこい、ドイツ車は売れてるぞ」というのもまあそうだけど。日本の軽自動車の税制優遇は、税制だけではなく衝突安全性などの安全基準についてもまったく不公平と言わざるをえない。元来軽自動車の税制は産業振興・小規模事業者支援という面があったが、スズキアルト以来の軽乗用車の普及は日本の車産業の発展を妨げているし、自動車の社会的負担を果たしていない。
トラックみたいなワゴンしか作れなかったスウェーデンの会社が高級車セグメントに移行できたのだから、米国メーカーも頑張って欲しいと思う一方で、日本は危険な軽自動車の税優遇を廃止して米国同様EVやFCVを優遇をすべき時期にきているのではないかとおもう。

 

完全な自動運転車が安全に走行できるまで技術開発が進むのを待ったり、安全な技術だけを適用していくロードマップを描いたりするよりも、多少不完全なまま社会に投入して社会の方が適応したほうがイノベーションが起こりやすいのではないか?と思わされる。専用走行レーンとか信号制御とか、不完全な技術を受け入れるための仕組みを考えているうちに社会の受容性が高まっていくのはどうだろう。

 

軽自動車の安全基準は乗用車と同じだという人がいるが、まず合格基準はまったく意味がないくらい低く設定されていて、実質的には安全基準はスコア点数評価になっている。だってロータス7みたいな車だって安全基準は満たしてるんだぜ?スコアで言ったら乗用車と軽乗用車の差は明らかだ。そのうえ衝突安全性だって、追突試験は「自車重量と同じ車」の追突試験してるんだよ?軽自動車には軽自動車しかぶつからないって。不公平だよ、やっぱり。

「シン・ゴジラ」と「Poke Go」

ブロックチェーンって言うと、ビットコインで胡散臭い とか
フィンテックって言うと、スマホでインバンでしょ とか
IoTっていうと、センサーつけときゃいいでしょ とか
Industrie4.0っていうと、かんばん方式のオープン化でしょ とか
クラウドっていうと、仮想化で安いんでしょ とか
AIっていうと、どっかのボットが暴言吐いた とか
モノとサービスっていうと、すぐにiTunes とか
DevOpsっていうと、普通にAgileの話はじめる とか
マイクロサービスっていうと、APIの話しないでSOA とか
コンテナっていうと、今のWindowsサーバー移行する とか

やめて

こういうのデジャブって言うんだよね。「ああ、これ前見たことある」とか「これって、+++だよね」とかわかったこと言って本質を理解しないで足を止めちゃう。

シン・ゴジラ」と「Poke Go」ってそういうデジャブを好奇心で押し切れたかどうかって言う意味で感性の感度を試されたんだよな。

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生と死、善と悪、自由と統治

生と死は、対立する概念ではなく、むしろ連続したものへと変わっていく。7割生きていて、3割死んでいる。そんな未来の人間の姿をデザイン・シンカー、池田純一氏が描き出す記事。そうして、カーツワイルのポストヒューマンで語られているのはブレインアップロードの可能性だ。脳から直接の制御を受け付けることのできる義手や義足、フィードバックの仕組みも研究が進むとそのデジタルインターフェースは義手と義足が身体とのコンタクトを持っていない、リモート接続もあるだろう。さらに義手や義足というデバイスだけではなく記憶装置だって脳との直接のインターフェースが取られるのであれば、外部記憶と外部記憶への記憶のアップロードだってありうるのだ。

松田卓也氏が解説するのは、意識という存在。

チューリング・テストに異議を唱えたのが、哲学者のジョン・サールです。サールは、人工知能は意識をもつことはできない、ということを証明したかったのです。これに対して、カーツワイルはこう反論します。自分の脳細胞は、シナプスニューロンも英語なんてわかっていない。けれども、わたしは英語の質問がきたら英語で返せる。君はわたしが英語を理解し、かつ意識があると思うだろう?と。あなたに意識があるとわたしが判断するのは、わたしが質問してそれに対してあなたがもっともらしい答えを返してくるからです。つまり、意識とは入力と出力を変換する「応答関数」にすぎないと、わたしは思います。

http://wired.jp/2014/12/30/life-and-death-vol14/

http://wired.jp/special/transcendence/

 

善と悪、自由と統治などは二元的に捉えてはいけない、相互に依存すると。つまり善が円の中心にあって、善なのか悪なのかと評価する単視眼的な位置付けではなくて善と悪の二つの焦点を持った楕円の構造なのだと。そういった議論から合理的な科学技術と人文社会のリベラルアーツも同様に楕円形の構造であるのだと。すぐに役立つものはすぐに役に立たなくなると、今の大学改革を憂いておられる。
いろいろ考えて、納得。

猪木 武徳(いのきたけのり) Takenori Inoki
経済学者

1945年、滋賀県生まれ。経済学者。大阪大学名誉教授。元日本経済学会会長。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学特任教授等を歴任。主な著書に、『経済思想』『自由と秩序』『戦後世界経済史』『経済学に何ができるか』など

http://toyokeizai.net/articles/-/132275 

 

限界費用ゼロ社会 モノのインターネットと共有型経済の台頭

競争的な市場主義によって極限まで生産性を上げてきた結果、生産に関わる限界費用がゼロに近づく社会において資源やサービスを共有する経済モデルへの移行が必要だという論。産業革命以来の資本主義の歴史をひもときながら、資本に対する生産の従属、垂直統合された自然な独占が限界費用がゼロに近づくことで瓦解し立ち行かなくなることを指摘する。MOOCのように無償化する高等教育、生産と物流に大きな変化をもたらす3Dプリンターによるインフォファクチャリング、マイクロ発電所と送電網の構築など新しい協働型の社会インフラはすでに羽ばたき始めている。分散、協働、水平展開型のピアツーピアネットワークによる、通信とエネルギーと物流の三つのインターネットによって構成されるIoTネットワークが協働型の共有型経済を推し進めていくという。所有からアクセスへの変革を唱え、あらゆる生物圏に共感を広げると主張している。
フリーソフト活動家のリチャード・ストールマンによる「フリーというのは無料のビールというような意味ではなくて、表現の自由という意味のフリーだ。」なんていう懐かしいのも登場する。再生可能エネルギーによるマイクロ発電所をIoTネットワークで自律分散制御するということが共有型経済社会の構築のキーとなると言っている主張は、エネルギー政策を解放するという意味で、私がよく言ってる電力アナーキズムと同じで大いに賛同したい。


限界費用ゼロ社会 モノのインターネットと共有型経済の台頭
The ZERO Marginal Cost Society - The Internet of Things and the Rise of the Sharing Economy
市場資本主義から協働型コモンズへの一大パラダイムシフト

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2045年アンケート

(Q1)2045年に向け想像しにくいが最もインパクトのある変化は何だと思いますか?
あらゆるものがデジタルによって制御されている環境。人間の認知限界を超えた情報処理能力を前にして人類はどう発展するか?かつて人類は移動速度や情報伝達という世界で人間能力を超えた発明を手中に発展して来たが、認知(Cognitive)という領域でもその能力を人間能力を拡大(Augment)して手中に納めることができるだろうか。

(Q2)Q1の状態に至る間に、どのようなことが起きていくと思いますか?
かつてない高精細なデジタル情報が実社会を超えた現実を創り出すことができるようになる。4Kや8Kの情報量は人間には認識できないくらい小さな画像から対象物(人)を認識できる情報処理を可能にする。現在起こっているサイバーワールドのデジタルによる需要の生成・把握・管理・予測というような高度なマーケティングを基にした情報が実社会の生産や流通という社会活動を制御するような社会に発展している。さらに情報ビットの値が0と1しかない現在ですら情報処理は人類の認知限界を超えているが、量子ビットによる多値コンピューターや人間の脳と同じ回路を有するシナプス回路などがさらなる情報処理の高度化を進めていくと考える。
しかし、効率化や生産性を向上させるという一直線一方向への情報投資はモノやサービスの生産コストを限界まで引き下げるためにある一定の平衡点があるだろうと思う。限界費用がゼロに近くなった時に、資本主義はどう変化するべきなのか、ジェレミーリフキンの言うようにシェアリングエコノミーになるのかどうかは議論がある。Uberは(タクシーをスマホで予約できるという機能というようなチンケなものではなく)乗り手と貸し手の信用評価というようないままでにない情報を生み出してプラットフォームを拡大してきた。実社会のマーケット(お金の流通量)から得られる利得よりもプラットフォームを握ることで得られる情報の流通量の利得と評価を目指していることに気づくべきだ。

(Q3)次世代に社会を渡していくために、取り組むべきことは何だと思いますか?
目に見えないことを理解する力をつけること。しかし現代日本では「日本には科学を論じないしきたりがある」と物理学者の山口栄一氏は言う。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20140819/371343/?n_cid=nbptec_tecml&rt=nocnt
科学や技術について知見を持たずにあらゆることが判断されている社会に警鐘を鳴らしたい。現在起こっていることを理解するためには最低限の技術的な素養がすでに必要で、それを有している人は限られている。経済産業省産業構造審議会でYahooの安宅和人氏「シン・ニホン AI ×データ時代における日本の再生と人材育成」には取り組むべき課題とスタートポイントが描かれている。http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shin_sangyoukouzou/pdf/013_06_00.pdf
STEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)+Materialが重要な領域になると思う。

(Q4)30年後のあなたは、2017年のあなたに何を伝えたいと思うと思いますか?
「じゃまオジ*」にならずLeadership that mattersになりなさい。
(じゃまオジ=安宅さん資料P.30)

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横断歩道の赤信号

「今年はスキー場の事故が多いですね」と言われて、「スキー場じゃなくて、近くの雪山ですね」とお返ししておいた。スキー場管理してる人がかわいそうだもの。

スキー場内でもバッキャンやボーダーは規制線を超えてリフト下など未整備の場所にどんどん入り込んできていて、安全が脅かされていると感じて不愉快です。どうして規制線外のエリアを安全だと思うのでしょうか?雪崩や接触、衝突などプロのスキーパトロールでも難しい危険予測なのに素人がどうして自己責任とかで判断するんでしょう。自己責任が「自分さえ安全なら」だったり「自分の安全は自分で守るから」だったりと、多くは誤解しています。自損事故の衝突は勝手にしろかもしれないですが、リフト搭乗者との接触だったり、雪崩の発生とかをどう予測するのでしょう。規制線はルールであって、ルールを破ることは自己責任とは言いません。ルールが破られて安全が確保できないと規制が強化されます。規制線を金網にしたり、装備不問で全面立ち入り禁止とか、ヘルメット義務化など息苦しいです。


ルールは

  1. ルールだから守る。
  2. ルールを守らなかった時に発生する影響に自分の責任範囲外のものがあるから、守る。
  3. ルールを守ることで自己責任活動範囲を確保でき、その不自由さが行動の自由を保証するから守る。

と言う風に考えます。

だから、だれも居なくても横断歩道の赤信号を愚直に守るという行動を続けます。赤信号を渡るというささいな行動が社会のルールとモラルと人々の安全の判断をゆっくりと崩壊させていくことに私は責任取れないので。

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田舎に住みますか、都会に住みますか

都会に住みますか、田舎に住みますか

あるプロジェクトの意思決定において。「クラウドへの移行を費用視点で詳細に分析した結果、今までのサーバーと同じ性能容量を確保する場合、クラウドに移行するよりも中古機を買って運用した方が安いので、クラウドへの移行は致しません。」と言われ反論する気が無くなった。新しい取組みに反対する人はいつもコストでしか反論しない、本心はやりたくないから規定通り工夫もなくコストを積んでるだけなのに。新しいテクノロジーがもたらしてくれる価値の増分には目を向けず、これまでと同じことを安くできることしか考えないという姿勢を崩さない。進歩が止まる瞬間だ。

こういうのって移動の基本が公共交通機関の都会に住むか、一時間に数本のバスも運行できないような中古の軽自動車だらけの田舎に住むかの判断だ。都会に住むのは共有のサービスが充実していて、自分で持ってなくてもサービスを買うことで便利な生活をしたいからだ。単位距離あたりの移動コストの比較じゃない、ライフスタイルの問題だ。ダウンタウンに出かけて飲んで電車で帰りたいから都会に住むんだよ、田舎にしか住んだことの無い人にはわからないよ。ICカードでさっと電車に乗り、利便性のためにみんなでコストを負担して電車やバスをシェアする。それに大規模な工場の引き込み線でもない限り電車に乗りたいからって言って電車作る人も居ないでしょ。

もういい加減にコスト比較しかできない能力の人にIT投資判断させるのやめよう。